バングラデシュのニュース(2012/11/23) その1

■見出し(2012年11月23日) No2012-67
〇第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ2012 日本参加
〇原子力人材育成国際会議の開催について
〇新任駐日バングラデシュ人民共和国大使の信任状捧呈
〇邦人安全情報
〇第13回アジ原子力協フォーラム(FNCA)大臣級会合
〇鍛え上げた中国人従業員がバングラで技術指導 バングラデシュと日本人(その4)
〇新世代リーダー 山口絵理子 マザーハウス社長 「リーダーはやっぱり体力ですね」
〇いま注目のエリア 発展続くバングラデシュの首都ダッカ
〇中小企業による輸出加工区への投資など限定的-中国企業の対外直接投資動向
〇バングラディシュのモバイル・ソーラー・スクール!
〇スマイル作戦バングラデシュへ出発
〇キズナ強化プロジェクト「アフガニスタン、バングラデシュ、パキスタン高校生の
 ホームステイ」受入大募集!!
〇バングラデシュ現地報告 ~ 携帯電話は「村」を変えるか? ~
〇フェアトレードカレッジ2012 第1回講座を開催しました(11月11日)
〇バングラデシュを知る! /1億5千万強、次世代の大市場をビジネスの観点から学びます
〇バングラデシュのマハムニの子供達100人に最高のXmasを!
〇 「バングラデシュの土器づくり」東南アジア考古学会第22回例会
〇マザーハウス:【イベント情報】取締役モイン来日!

■第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ2012 日本参加
 http://www.jpf.go.jp/j/culture/exhibit/international/bngladesh/15/index.html
 (国際交流基金 2012年12月1日 土曜日 から 2012年12月31日 月曜日)

国際交流基金 (ジャパンファウンデーション) は、12/1~12/31まで、ダッカ市のバング
ラデシュ・シルパカラ・アカデミーで開催される現代美術の国際展「第15回アジアン・
アート・ビエンナーレ・バングラデシュ2012」において、日本公式参加の主催者として
日本の作家2名を紹介します。

【全体概要】
会期   :2012年12月1日 土曜日 から 2012年12月31日 月曜日
主催・会場:バングラデシュ・シルパカラ・アカデミー

バングラデシュビエンナーレ 1981年にアジア14カ国の参加を得て開始されたアジアで
最も歴史ある現代美術の国際展の1つです。主催するのは、バングラデシュ文化省所属の
国立美術・舞台アカデミー「バングラデシュ・シルパカラ・アカデミー」です。ビエン
ナーレはこれまでほぼ2年ごとに開催されています。前回の第14回では、アジア以外の地
域も含む27の国・地域からの参加がありました。

【日本参加の概要】
キュレーター: 飯田志保子 (いいだ しほこ)
出品作家 : UJINO (宇治野宗輝) (うじの むねてる) 、小泉明郎 (こいずみ めいろう)

主催   : 国際交流基金 (ジャパン・ファウンデーション)

国際交流基金は、バングラデシュ政府の要請を受け、初回から継続してビエンナーレに
参加して、日本人作家の作品を紹介してきました。第15回目となる今回は、飯田志保子
氏を日本公式参加キュレーターにお迎えして、UJINO氏 (宇治野宗輝氏) 、小泉明郎氏の
2名の作家の作品を紹介します。様々な素材を組み合わせた彫刻的音響機器の制作で知ら
れるUJINO氏は、9月にダッカにおいて実施した事前調査を元に、地元の素材等を応用し
た新作インスタレーションTRIODE TO JOYを現地制作します。一方、映像インスタレーショ
ンのアーティストとして知られる小泉氏は、Theatre Dreams of A Beautiful Afternoo
n (2010-2011) を出品します。

【アーティスト選定コンセプト】
本ビエンナーレ開催地の首都ダッカは、人口過密を筆頭に、労働環境、都市機能、教育
文化に必要なインフラの未整備といった諸問題に直面しながらも、東西のマーケットの
ハブとしてさまざまな業種の店が軒を並べ、人々の活き活きとした生活の営みが行われ
ている活気に満ちた都市である。一方、現代の日本は、効率主義によって経済成長を果
たし、利便性に満ちた生活を手に入れた先進国の行き詰まりの姿を呈している。
先進国の行く末を按ずるより自国の発展を望む人々のエネルギーに満ちたダッカの地で、
アジアの他の参加国の作品とならんで現代の日本のアーティストの作品が展示される。
そうした圧倒的な対比のなかで本ビエンナーレの参加に臨むにあたり、私はUJINO、小泉
明郎、両氏の展示によって、特に昨年の東日本大震災以降顕著になった、現代の日本社
会が抱える極限状態・「テンション」の一角を提示することを意図した。選定にあたり、
ダッカの都市のインフラや展示の諸条件等をふまえながら、具体的に念頭においたのは
以下の点である。

・日本の近代化と、その文化・社会における欧米文化ならびにアジアの影響に対する批
評的なまなざしによって、現代の日本を歴史的・文化的側面から検証しているアーティ
スト。
・日本性、日本のナショナリズムに対する、緊張状態とユーモアの両方を持ち併せてい
る作品。
・コミュニケーションにおける緊張感、意思疎通の困難さや感情の機微を表出している
作品。
小泉明郎は、しばしばある状況がエスカレートしていくパフォーマンスを映像化するこ
とで、政治的・文化的・生理的に居心地の悪さを感じた時の人の心理状態を露わにする。
うち、今回の出品作Theatre Dreams of A Beautiful Afternoon (2010) では、都市社会
に住まう人々のテンションが日常のなかで振り切れてしまう瞬間を役者が演じ、その光
景を突如目撃する人々の反応を映し出す。
一方、物質文明のリサーチをテーマに、自動車やバイクの部品、ターンテーブル、アン
プ、スピーカー、ケーブル、家具などを組み合わせた自作の彫刻的音響機器を作成して
きたUJINOは、リキシャの幌など現地の素材を応用した新作キネティック音響彫刻TRIOD
E TO JOYを現地制作する。人の気配を漂わせるオブジェ三体を中心とした本インスタレ
ーションには、テクノロジーとオーガニックな生活様式が融合するダッカでUJINOが感じ
た近未来のヴィジョン――均一化された物質文明の価値観から離脱、旧来のサウンドと
テクノロジーの復興――が投影されている。

これら二名のアーティストの作品による緊張感と脱力感、精緻さと豪快さ、シリアスさ
とキッチュさが相乗効果を成し、一元化され得ない現代の日本のさまざまなテンション
が、バングラデシュの人々に楽しみとともにクリティカルなメッセージとして伝わるこ
とを期待したい。

飯田志保子

◇アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ
 http://www.jpf.go.jp/j/about/press/dl/0825.pdf

■原子力人材育成国際会議の開催について
 http://jn-hrd-n.jaea.go.jp/info/pdf/HRD%20Conference_JAEA201211_ja.pdf
 (原子力人材育成ネットワーク 2012年11月15日)

概 要:
原子力人材育成に関係する国内外の関係者を一堂に会し、世界における原子力人材育成
活動の現状把握と課題の共有を進めるとともに、関係機関の相互協力に基づく原子力人
材育成活動のネットワーク化の重要性やその推進について意見交換を行うことにより、
ネットワーク活動の有効性を高めることを目的とする。

開催時期: 平成24年11月20日(火) ~ 22日(木)
開催場所: Hotel Equatorial Bangi-Putrajaya, Malaysia
参加者:
 (海外)FNCA諸国(オーストラリア、バングラデシュ、中国、インドネシア、
     カザフスタン、韓国、マレーシア、モンゴル、フィリピン、タイ、ベトナム)

     IAEA、OECD-NEA、WNA、ROSATOM
 (日本)原子力機構、原産協会、大学、メーカー等

内 容: テーマ「原子力の安全及び広報活動等に係る人材の育成」
[発表]
 ○原子力人材育成に係るネットワーク活動等の概要紹介
  IAEA、OECD-NEA、WNA、ROSATOM、原子力人材育成ネットワーク等の取組み
 ○原子力/放射線安全とPR活動に係る原子力人材育成の現状
  各国参加者による発表
[討論]
 ○原子力安全等に係る人材の育成について
 ○原子力に係るPR・コミュニケーション活動に係る人材の育成について

言 語: 英 語

■新任駐日バングラデシュ人民共和国大使の信任状捧呈
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/11/1114_04.html
 (外務省 平成24年11月14日)

本14日午前11時,新任駐日バングラデシュ人民共和国大使マスード・ビン・モメン閣下
(His Excellency Mr. Masud Bin MOMEN)は,皇居において, 樽床伸二国務大臣侍立の
下に,天皇陛下に信任状を捧呈しました。

(参考)
 上記信任状捧呈式は,宮中正殿松の間において行われました。

各国・地域情勢
 バングラデシュ人民共和国 
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bangladesh/index.html
大臣官房 儀典官室
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/sosiki/daijin.html

■邦人安全情報 (BNP等による集会の日程変更)
 http://www.bd.emb-japan.go.jp/jp/safety/anzen141112.html

邦人安全情報
(BNP等による集会の日程変更)
10月31日付当館発出メール等により、11月22日、BNP率いる18党連合が、ダッ
カ市内ナヤパルタン地区にあるBNP事務所前で集会を行うという旨連絡いたしましたが、
本日の報道によりますと、BNP率いる18党連合は、集会の日程を11月28日に変更し
ました。なお、本集会は、これまでとは異なり、大規模なものとなる恐れがありますの
で更なる注意をお願いします。

 今後も引き続き、関連情報には十分注意していただくようお願いします。

■第1 3回アジ原子力協フォーラム(FNCA)大臣級会合
 http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2012/siryo50/index.htm
 http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2012/siryo50/siryo2.pd
 (内閣府 原子力政策担当室 平成22年11月13日)

アジア原子力協力フオーラム
(FNCA:Forum for Nuclear Cooperation In Asia)の概要

1.概要及び目的
積極的な地域のパートナーシップを通して、原子力技術の平和的で安全な利用を進
め、社会・経済的発展を促進することを目指す

2.参加国
オーストラリア、バングラディッシュ、中国、インドネシア、日本、カザフスタン、
韓国、マレーシア、モンゴル、フィリピン、タイ、ベトナムの全12か国

3.経緯
原子力委員会が主催して開催してきた、近隣アジア諸国の原子力関係者が一同に会
し、情報交換及び地域協力のあり方を議論する場であった「アジア地域原子力協力国
際会議」を発展的に改組し、平成11年4月に「アジア原子力協力フォーラム」が発
足した。

〈原子力政策大綱における位置づけ(アジア諸国との協力部分)〉
我が国が主体的・能動的に協力を行う国・地域は、地政学的にも経済的にも緊密
な関係を有するアジアを中心とする。(略)これらの協力に当たっては、相手国
の自主性を重んじ、パートナーシップに基づくことを基本として、例えばアジア原
子力協力フォーラム(FNCA)、IAEAのアジア原子力地域協力協定(RCA)
といった多国間の枠組みや、二国間及び国際機関を通じた枠組みを目的に応じて効
果的に利用することが適切である。

(参考)「アジア地域原子力協力国際会議」は平成2年、アジア地域での放射線利用や
研究炉での利用の推進に貢献するために、日本主導で設立された。平成10年、こ
れまでの協力活動全体を総括し、内外との連絡・調整を行う「コーディネーター」
を各国から選任し、その下で専門的見地から活動する「プロジェクトリーダー」を
協力分野ごとに選任し、より組織的な協力活動を進めることのできるFNCA新体制
に移行した。

■鍛え上げた中国人従業員がバングラで技術指導 バングラデシュと日本人(その4)
 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36479
 (JBPress 2012年11月20日)

「20年前の中国に日本企業がたくさん入ってきたように、バングラデシュも間違いなく
その時代を迎えるでしょう」

小島衣料(本社:岐阜県岐阜市)のオーナー、小島正憲さんは話す。

20年前の中国は、1人当たり月額20ドル(当時のレート1ドル125円で換算して約2500円)
という低水準の賃金で、数百人規模の労働者をすぐに集めることができた。だが、賃金
が高騰する今は、400ドル(1ドル80円で換算して約3万2000円)を出しても人はなかなか
集まらない。

小島さんは、中国に続く縫製工場の拠点をバングラデシュに求めた。縫製業が求める生
産条件が、賃金の安さ、質の高さ、手先の器用さであるとするならば、このバングラデ
シュはすべてを満たす。賃金水準はミャンマーに次ぐレベルだ。

バングラデシュには、ざっと4000~5000の縫製工場があると言われ、零細工場を含めれ
ばその数は2万にも上るとも言われている。その先鞭をつけたのは韓国企業だった。バン
グラデシュで欧米向けの出荷を増やし、その後、欧米の製造小売のZARAやH&Mがバング
ラデシュに進出し、繊維産業の素地を築いていった。

ダッカ郊外には「アシュリア工業ベルト地帯」などのような工業団地もあるが、小島さ
んの工場「KOJIMA LYRIC GARMENTS.,LTD.」は工業団地内にはない。立地する場所はガジ
プールという町で、ここには日系企業はほとんど見られない。

その理由を小島さんはこう語る。

「ストの嵐に巻き込まれることを避けて、工業団地には開設しませんでした。ここなら
ストは飛び火することはありませんから」

ダッカ市内から車で1時間半。周囲に広がるのは田畑である。この牧歌的な風景の中で、
周囲の地元企業の工場に溶け込むようにして生産活動を行っている。

【日本で驚かれる品質の高さ】
7階建ての工場は低層階を裁断スペース、倉庫が占め、3階から上階が作業現場となる。
「手探りだが、2年の時間をかけて9割がた完成させた」(小島さん)という現場を見せ
てもらった。

小島さんにとって、バングラデシュは中国に代わる拠点だが、輸送条件は決していいと
は言えない。日本の物流会社が輸送環境の整備に乗り出してはいるが、それでも日本に
送られるダッカの荷物はシンガポールで積み替えが必要であり、ざっと2週間はかかって
しまう。

そこを小島さんは、製品に求められるリードタイムと中国4工場とバングラ工場をうまく
リンクさせて、製造工場の棲み分けを図っている。

「『中国~日本』間は船便で約1週間、『バングラ~日本』間は約1カ月。これらを客先
が要求する納期に合わせて工場を使い分けています」

最優先すべき短納期のものは上海工場で対応、その次の納期のものは中国吉林省で、時
間に余裕のある納期のものをバングラで生産し対応する、というわけだ。

ダッカ工場で小島さんが挑戦するのは、ブラックフォーマルだ。Tシャツやカジュアル衣
料など、高い技術を問われない縫製がバングラデシュの得意とするところだったが、小
島さんはここに「バングラ初のセットアップ&ブラックフォーマル」を持ち込んだ。

「日本で営業に行くと『まさかバングラでこれができるとは!』と驚かれます。客先に
提案すると、コストと品質でバングラから受注が決まっていきます」(小島さん)とい
う。

最終工程を手がける最上階のフロアでは、男性がミシンを踏んでいる。このフロアには
女性の姿はない。

「ひとたび教え込むと、彼らはこの場から離れません。彼らは見本を縫うことにプライ
ドと特権意識を持っているようなのです。これは、いいものを作れるという証拠でもあ
りますが、この仕事から離れようとせず、部下の技術指導にはなかなか行きたがりませ
ん・・・」と小島さんは苦笑する。

「ダッカ工場は、品質でアジアナンバーワンを目指します」。小島さんは豪語する。実
際に工場ではもはや1着単位ではなく、ラインとして合格品を多数出せるようになり、着
々と目標に近づいている。

品質をほぼクリアした小島さんの次なる目標は、生産性の向上だ。

「人はまだ遊んでいるし、ものは溜まっている。この点の改善が必要になります」

中国の4分の1の給料で、2年かけて“中国工場の70~80%の品質レベル”に追いついた。
年内には損益分岐点を超えることが見込まれている。

【イスラム教国でどうモチベーションをアップさせるか】
進出するに当たって、小島さんが一番心配したのは「バングラデシュはイスラム教国」
であるという点だった。果たしてバングラデシュで、中国のような生産性の上昇が可能
なのか? イスラム教徒の従業員のモチベーションを、どうやってアップさせたらいい
のか? 我々が従来やってきた手法が通用するのか・・・? 小島さんは複雑な思いを
抱えていたと言う。

日本では、生産管理の手法として、1つの工程を教え、目的を設定し、それをクリアさせ、
クリアしたら成果として賃金面でのインセンティブを与えるというやり方をとってきた。
それも「1本縫ったらいくら」というピースペイではなく、チームプレーで競わせるとい
う形のもので、中国の工場においてもこれが功を奏した。

班ごとに目標を設定し、達成したらボーナスを出すというやり方である。イスラム教国
の人が目の色を変えて働くかどうかは未知数の部分も残るが、「おそらくみんな生き生
きと仕事をしてくれるでしょう」と、小島さんは自信をのぞかせる。

筆者は小島さんの案内で、階下の作業現場に下りていった。1500平方メートルのフロア
では、カラフルな民族衣装を着た女性従業員たちがミシンを踏んでいた。彼女たちの賃
金は月額8000タカ(1タカ=約1円)程度だという。

「雑然としていてうるさいでしょう、私語が多いんですよ」と小島さんは言う。ちなみ
に中国の工場では、作業現場での私語は一切ないという。

生産性の向上を目標に据える小島さんは、この“雑然さ”についても「まだまだ生産性
がアップする証拠です」と、前向きに捉えている。

一方、フォーマルウエアに使う細かいパーツを縫うこのフロアでは、なんと中国語が飛
び交っていた。10人の中国人が、中国各地の小島衣料の工場から技術指導に来ているの
だ。

筆者は2005年に小島衣料の吉林工場の立ち上げを取材したことがある。今や、そこで育
てた人材が、ダッカに駐在し技術指導を行うようにまでなった。複雑で難易度が高い作
業を、中国人が「私がやってみるから見てて」と自分でミシンを踏んで教える。その手
先に、ダッカの地元従業員らは熱心に見入る。

中国で育てた人材が各地に飛ぶ時代が来ている。むしろ、中国の工場はこれからも欠か
せない存在であり、小島さんも「もちろん中国の工場を捨てることはありません」と断
言する。

【管理職育成という大きな課題】
バングラデシュは豊富な労働力が魅力ではあるが、管理職候補の人材となると限られる。
首都ダッカでも中間管理職の激しい争奪戦が繰り広げられている。

実際に、どの企業も中間管理職の育成には苦労しているようだ。「デスクワークで雇わ
れているんだ」という開き直りが強く、工場は早朝8時から稼働を始めるにもかかわらず、
彼らは9時になってようやく出社。カーストの影響もあるのか、現場の油は絶対に触ろう
としない。辞めさせようと思っても代替の人材はいない・・・などなど、バングラデシュ
人管理職の現場意識の低さはどの日本企業も嘆くところだ。

小島さんの工場では、班長をいかに育成するかが課題になっていた。

最終工程を除けば、ラインの作業者は圧倒的に女性が占める。1フロアに6班、1班は30~
40人で構成される。

「班長に女性を起用したいが、識字率が低いため、女性はなかなか班長になることがで
きない。かといって、外から人材を募集しても威張っているだけで・・・」と小島さん
は語る。

女性の職場から女性班長を選出できるかどうかは、モチベーションアップにもつながる
だけに、今後の重要課題の1つに据えられている。

【小島さんとバングラデシュを結んだ「見えざる縁」】
さて、この工場でスタート時から現地社長として現場に張り付き、陣頭指揮を執ってき
たのは、小島代表の次男、小島高典さん(35歳)だ。

高典さんは、ベンガル語、英語、中国でコミュニケーションできる。その語学堪能ぶり
からは、父親である小島正憲さんの教育方針が透けて見える。「16歳のときにバングラ
デシュに遊学させたのです」。今から20年ほど前のこと、さすがの正憲さんも当時はま
だバングラデシュ進出など思い描けなかった時代だ。

ところで筆者は別の取材でダッカ在住のモンタ・ブイヤンさんというバングラデシュ人
を訪ねた。ブイヤンさんは筆者のベンガル語の恩師である奈良毅・東京外国語大学名誉
教授から「ぜひ現地で会ってみるといい」と勧められた人物だ。ブイヤンさんはかつて
奈良教授とともに、東パキスタン(現バングラデシュ)の独立運動の日本における中心
人物として活躍した。

取材中、ブイヤンさんがこんな話をした。「だいぶ以前のことになりますが、日本から
バングラデシュに来た16歳の男の子のお世話をしたことがあります」。

その日本人とは、他ならない小島高典さんだった。日本でバングラデシュ独立運動のた
めの募金活動をしていたブイヤンさんに、初対面の正憲さんが息子の遊学の話を切り出
してきた、ということらしい。

ちなみに小島さんの教育方針はユニークで、長男はエジプトに、長女はスペインの修道
院に遊学させている。縫製業界において「時代の先読み」で一目置かれる経営者だが、
子どもの教育においても「先読み」に長けている。

小島さんがダッカへの進出とその後のパートナーを決定したのには、実はブイヤンさん
の力が大きく働いていた。

海外で誰がビジネスのパートナーになるのかは、日本の経営者にとって大きな問題だ。
どんなパートナーと出会うかは「縁」である。バングラデシュとなればなおさら金銭的
なものよりも「見えざる縁」がビジネス発展の分かれ目となるような気がする。

バングラデシュ人もまた人との縁に価値を置く人々である。日本企業には、バングラデ
シュ人から信頼を得て「選ばれる企業」になる努力が欠かせないことは言うまでもない。

■新世代リーダー 山口絵理子 マザーハウス社長 「リーダーはやっぱり体力ですね」
 http://toyokeizai.net/articles/-/11744
 (東京経済オンライン 2012年11月15日)

マザーハウス社長兼デザイナー
山口絵理子
1981年埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、バングラデシュBRAC大学院開発
学部修士課程修了。大学のインターン時代、ワシントンの国際機関で途上国援助の矛盾
を感じ、アジア最貧国「バングラデシュ」に渡り、現地の大学院に進学。「かわいそう
だから買ってあげる商品じゃなく、商品として競争力があるものを途上国から世界に発
信する」という理念のもと、大学院卒業と同時に24歳で起業し、「株式会社マザーハウ
ス」を設立。現在バングラデシュで特産のジュート(黄麻)やレザーでバッグや小物を、
ネパールでは現地のシルク、コットン、ウールなどを用いたレディースの洋服を生産。
著書に『裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~』『裸でも生きる2 Keep Walking
私は歩き続ける』『自分思考』(共に講談社)がある。Young Global Leader 2008、Soci
al Entrepreneur of The Year in Japan 2010グランプリ受賞等。

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」――そんな理念のもと、2006年に産声
を上げたマザーハウス。同社は、バングラデシュでバッグを、ネパールでアパレルや服
飾雑貨を製造し、日本と台湾で直営店を12店舗展開している。
マザーハウスブランドのデザインを担当するのは、社長も兼任する山口絵理子さん。彼
女は今、日本で最も有名な女性起業家の一人であると同時に、デザインと経営を両立す
る、新しいタイプのリーダーでもある。
経営者とデザイナーという二つの顔をどう両立しているのか? バングラデシュ、ネパー
ルなど多国籍のメンバーをどうマネジメントしているのか? そしてこれからどんなリー
ダーになろうとしているのか? 山口さんの右腕として経営を支える山崎大祐副社長とと
もに話を聞いた。

――山口さんは、女性起業家、社会起業家という文脈でスポットライトを浴びることが
多いですが、デザイナーとしての顔を持っています。

山口:最近は経営に6割、デザインに4割の時間を割いています。以前は会社の立ち上げ
に追われていて、デザインをする時間なんてありませんでした。最近は会社が安定して
きて、いろんな素材を使ったり、生産用の機械も買ったりと、デザインの可能性が広が
ってきています。会社が軌道に乗るにつれて、デザインにかけられる時間や資金も増え
てくる――そこの繋がりがとても楽しいです。

――デザイナーの比率が上がってきたのはいつごろからですか。

山口:2010年の秋・冬シリーズに、山崎が「そろそろ好きなものを作っていいよ」と言
ってくれたときです。それまではお客さんの意見を店舗から吸い上げるのに必死でした
が、「ワンシーズンだけ、チャレンジングなことをやってみて」と言われて、コンセプ
ト作りに半年かけました。

そこで作ったのが「花びら」というシリーズです。バッグとしてはとてもシンプルです
が、縫製の糸を全部取るとミズバショウの形になります。「なぜバングラデシュで作ら
なければならないのだろう」というテーマを突き詰めていったとき、バングラの国花で
あるミズバショウ(シャプラ)に自然と行き着きました。

――実際に発売してみての反響は?

山口:発売後の1週間は、売れるかどうか心配で、ずっと日報で何個売れたかをチェック
していました。そんな日々をなんとか乗り切って、今ちょうど5シーズン目です。今では、
「花びら」のようなコンセプトラインと呼んでいるシリーズが、売り上げのおよそ半分
を占めるまでになりました。

山崎:当初、コンセプトラインは「売れなくていい」という意気込みで始めたのに、出
すたびに大ヒットしています。誤解を恐れずに言えば、顧客の声を聞きながら、ものを
作るのはデザイナーとしては楽です。しかし、何もないところから面白いものを作るの
はすごく難しい。

そこが山口といつもぶつかるところです。山口が顧客のほうを向きすぎてしまうので、
僕が「向くな。忘れろ」とよく言います。

山口:経営者として頑張れば頑張るほど、お店寄り、お客さん寄りになります。だから、
デザイナーとしてはもう分裂気味ですよ(笑)。

――日本にずっといて、ファンの人たちとずっと会っていたら影響されすぎてしまいそ
うです。

山口:そうだと思います。

山崎:電気もないような途上国に行くと、パソコンも使えないので、夜に一人でいると、
考える以外にすることがありません。そういうときに生まれるものが結構良いものだっ
たりします。

――デザインが浮かんでくるのはどんなときですか。

山口:素材を触っているときです。ジュート(麻)を始め生地にはそれぞれに「こうい
う形になりたいんだよ、僕は」という主張があります。それをすくい上げるのがデザイ
ナーであり、それは現場でないとできません。

日本には「デザイナーはきれいな空間で、クリエイティブな作業をする」というイメー
ジがありますが、マザーハウスの場合は現場の素材を触ってから、一緒に工員と作り上
げることにエッセンスがあります。

そもそも私が起業したのは、斜陽産業と言われたジュートを持ってきて「これがかわい
くなったらどうかな」というイマジネーションが強かったからです。これがもしフラン
ス製のレザーだったら、ここまでは頑張れませんでした。今までクリエイティビティに
触ったこともないような仲間たちと、捨てられていたかもしれない素材を使ってやるこ
とに大きな可能性を感じています。

【過去7年間、セールは一度もなし】
――バングラやネパールの素材から聞こえてくるのはどんな声ですか。

バングラは性別で言うと男です。本当に力強くごわごわしていて、ハンマーでたたかな
いといけないぐらい厚い。素材に男気があるし、スタッフもみんなチャレンジとかミッ
ションが大好きで、「やれ」と言ったらやるんです。

ネパールはすべてが繊細でちょっとすると破れてしまう。スタッフは「やれ」といって
も辞めるし、「すごいね」といっても辞めます。ゆっくりしたペースが流れていて、最
初にウールで作る商品の納期を聞いたときに「1年後だ」と言われました。それだとト
レンドも何もあったものではありません。そういった部分はペースを合わせながらも、
日本のお店をイメージしながらネパールで物作りをするのはとてもチャレンジングです。

――マザーハウスの企業としての強みは?

山崎:バングラやネパールでの製造から日本の販売まで一貫して自社で手掛けていると
ころです。とても難しいビジネスモデルで製造と販売が一緒に動いていかないと、うま
くいきません。

マザーハウスは過去7年間で1回もセールをしていません。売れ残りも1つもありませ
ん。100%消化です。

生産側には一生懸命作っている人たちがいます。彼らが作った物は、最初の1個も最後
の1個も同じだけのバリューがあるはずです。僕らはバングラから責任を持って商品を
預かっており、お客様に渡さなければならないという点で他社とスタートが違います。
セールをしないから最後の1個の商品まで捨てられません。だからこそ、どうしたらお
客様の価値になるのか、みんなで売り切ることができるのかを徹底して考えます。

ただ、どんな仕組みを作っても海外の生産と日本での販売のバランスはズレてきます。
そこを販売側がお客様に「申し訳ございません」と言って、「このようにバッグを作っ
ていますので1カ月待ってください」と生産側の事情を説明して、心からお願いできる
かどうかが、問われます。

一方の生産側は、商品が足りなくて販売がみんな苦労しているということを想像して、
いろんな取引先に「こんな状況だから作ってくれ」と頼めるかどうかが、問われます。
現場がお互いに修正しながら前に進んできたから今があると最近強く感じます。

――では、バッグとしての強み、他のメーカーにはマネできない部分は、どこにあるの
でしょうか。

山口:形をコピーするのは誰にでもできますが、素材をコピーするのはすごく時間がか
かります。この「ソラモヨウ」というバッグはレザーをグラデーションに染めてありま
す。外部のなめし工場まで巻き込まないとできない作業です。そういう人たちをやる気
にさせて、今までにない素材を作っています。素材がダメだと、何を作っても良い物に
はなりません。今もっとも力を入れているのは、素材の開発です。

――華やかに見える山口さんの泥臭い努力が、いちばんの差別化になっていると。

山崎:室温50度ぐらいのなめし工場に山口が1週間張り付いてずっと取り組んでいる様
はまさにクレイジーです。

工場の人たちがみんなこのレザーのことを「ソラモヨウ」と呼ぶんです。彼らがコンセ
プトをちゃんと理解できるように伝えているし、彼らも何のために作っているかを理解
しています。それはバイヤーにできる仕事ではありません。山口はベンガル語をしゃべ
ることで、本当にこの国にコミットして物を作ろうとする覚悟を示している。そこが重
要なところです。

一人の人間が経営者とデザイナーを両方やるのは非常に難しい。経営者は、リソースの
制約を気にして、予算の中で作りやすい物を生産しようとします。一方、デザイナーは、
生産や予算の制約を気にせずに、最高の物を作ろうとします。山口はデザイナー思考の
ときは徹底的にデザイナー、経営者思考のときは徹底的に経営者、そこを使い分けてい
るところがすごい。

お店には山口がデザインしたバッグもあれば、顧客の声を徹底的に聞いて作ったバッグ
もあります。デザイナーであれば、同じ場所に二つの違ったコンセプトのバッグが並ぶ
ことは嫌がるのに、山口は経営者としてそれができる。

山口:私がデザイナーとして商品を熱烈にプレゼンするので、スタッフは売れなくても
一生懸命売り込んでくれます。でも経営者として適正な判断をしないと、毎シーズンは
乗り越えられません。だから売れないものはバンバン切り捨てるし、絶対追加発注なん
かしません。

以前、すごく熱を入れた商品を、ある日私が、「これだけしか売れてないならやめて」
と言ったため、店舗のみんなは混乱してしまったことがありました。デザイナーとして
はすごくむなしくて、悲しかったですが………。

マザーハウスの7年間は本当に自己否定の繰り返しです。頑張って開拓してきた10店舗と
の契約を全部やめて、卸売りから直営店に切り替えていったときもそうでした。言うこ
とを聞かない外部工場から自社工場に移ったときもそうでした。「本当にこれでいいの
か」「これが最終ゴールか」と否定して次に進んでいくというプロセスです。私はそれ
をカルチャーにしたいと思っています。

――社員がどんどん増えてくる中、マネジメント面で工夫していることはありますか。

山口:バングラ、ネパール、日本と各国のスタッフと話す時間を前の10倍ぐらいに増や
しています。誰と話しているかというと、影響力を持った中ボスぐらいのスタッフです。

たとえばバングラの工場には80人の工員がいますが、そのうちテーブルリーダーという
中ボスが8人います。この人が周りの10人に影響を与えているんです。そういう人たち
に対し、生産ラインを見るついでに、私がちょこちょこと寄っていってミシンの隣でぺ
ちゃくちゃしゃべることを大事にしています。

店舗も工場に似てきました。影響力のある人は店長だけではなく、ナンバー3のスタッフ
だったりもします。仕組みにはできていませんが、個人面談みたいに、コーヒーを飲み
ながらちょっと話をするようなことがとても大事だと感じています。

昔はお客様に「組織が大きくなったら今のマザーハウスではなくなってしまうのではな
いか」とよくいわれていました。バングラの工場は2人から始めて、今は80人になりま
したが昔と変わったかといわれればノーです。絶対に変わらない。むしろ家族が大きく
なったなという感じです。今それぞれのエリアで核になる人が、その下の人を育てる仕
組みになってきています。それができたのは中ボス8人のおかげです。お店もそうなって
きているからとても楽しみです。

【「やればできるでしょ」の一言が大事】
――バングラのスタッフのやる気を高めるために、意識していることはありますか。

山口:たとえばこのイチョウのバッグは日本の紅葉をイメージした商品です。バングラ
の工員に日本の田舎の写真を見せて、「これをやりたい」と何度も言ったのですが、毎
回「ノー」。生産効率が悪いし、技術的に難しいし、今まで作ったことがない、という
のがその理由です。

でも私は「そうじゃない」と言って、時間の経過とともに色が変わるこのレザーがなぜ
美しいのかを説明して、「まずは作ってみましょう」と提案しました。そして、一つ目
のバッグができたときには、「ほら、やればできるでしょ」と一言声をかけました。そ
れがすごく大事な気がしています。「ダメだ。できない」と言っていた人たちが、頑張
ったことによって認められていく。

そして、バッグを店に出して売れたときには、「あなたたちの頑張りによってバッグは
お客さんに届いた。また発注がきた。だから次も新しい物はできる」と彼らに伝えて、
良い循環を作っていきます。最近は私がいくと、「次は何を作る」と彼らが聞いてくる
までになりました。

山崎:もう一つ大事なことは彼らにもビジネスとしてちゃんと利益が出るようにしてあ
げることです。昔は売れても店が少ないから、発注量が少ない。結局、励ますことしか
できなかったけれど、今は売れるとすごい量の発注が来ます。みんな必ず「発注どうな
の?」「売れているの?」ということを聞いてきます。そして「今まで作った3倍の受注
量だよ」というと、すごく喜んでくれます。

――理想とするリーダー像はありますか?

山崎:山口は僕から見たら完全にリーダーです。戦争に例えると、騎馬隊の大将のよう
な、前近代的なリーダーです。先頭を切り、旗を持って一番前を走っていく。その背中
をみんな見ているから「あれが大将だ」とイメージできます。

最近、スティーブ・ジョブズの本を読みましたが、ジョブズのクレイジーなところが山
口にとてもよく似ています。僕がいちばんマザーハウスらしいと思うのは、サンプルル
ームやマネジメントルームに壁がないことです。みんながいつも見ているのは、バング
ラの工場で朝7時から夜10時まで食事も忘れてずっと立ちっぱなしで物を作っている山口
の背中です。

講演会や著書では見えない側面ですが、この人のエッセンスはデザイナーだと思います。
山口の中でいちばん強いのは、「新しいものにいかにたどり着けるのか」という想いで、
僕たちは山口が新しいものをつくることを楽しみにしています。

山口:私は自分をリーダーだとは思っていません。ただ、女性の従業員も多くなってき
ている中、この人たちはどうやってお母さんになったり、家庭を持ったりするのだろう
と考えます。私がちゃんとその方向性を示さなければならないのだろうと漠然と思って
います。

働くことと生きることの境界線をなくせるようなライフスタイル――そうした方向性を
示さなければいけないのだろうと漠然と思っています。「ここまでは仕事、ここから先
は家族」みたいなやり方では当社はやっていけないし、これからの日本もやっていけな
いはずです。

――最後に、リーダーとして大切なものは何だと思いますか。

私はこういう仕事をしていて移動が多いこともあって、体力作りにはとっても気をつけ
ています。筋トレも時間があればしているし、ランニングとかも考え事をしながらする
とあっという間に1時間くらい走れちゃいます。続けることが大事なのは、気持ちもそ
うだけれどやっぱり体がついていかないと意味がないからです。

昔、柔道の選手だったからこそ、ここまでやってこれた面もあります。だからスタッフ
には「筋トレしなよ」というんです。リーダーはやっぱり体力ですね(笑)。

(撮影:山内信也)

■いま注目のエリア 発展続くバングラデシュの首都ダッカ
 http://www.sailing-master.com/?p=1254
 (SailingMaster 2012年11月14日)

アジア諸国の中でも、今後急速な発展が予想される地域が、ミャンマーやバングラデシュ
など、これまで経済的に立ち後れてきたといわれる国々だ。民主化により経済改革が進
むミャンマーに続き、次の成長株として期待されているのがバングラデシュ。その中で
も、東京に匹敵する人口規模の首都ダッカでは、日系企業はもちろんヨーロッパ系の企
業も盛んに投資を行っている。今回は、ダッカを中心にしながら、マーケットの特徴や
進出時の問題点などを考えてみることにしよう。

【成長を遂げつつあるバングラデシュ】
バングラデシュという国について、中国やインド、ベトナムなどと比較すると、あまり
知識がないという人も多いかもしれない。これまで経済的に成長が遅れていたこともあ
り、日本企業の進出先として調査の対象にはなるものの、なかなか本格的な行動を起こ
すには至らなかった事例もあるようだ。そこでまず最初に、バングラデシュという国の
概況について紹介していくことにしよう。
日本ではバングラデシュというと、国連の定義による「後発開発途上国」のイメージが
強く、経済的に困難な状況にある国と捉えられることが多い。実際、一人あたりのGDP(
名目)を見ても、2010 年の数値で642 米ルとされ、905 米ドルがボーダーとなる後発開
発途上国の定義を下回っている。
しかし、全体的には堅調な経済成長を続けており、同じ2010 年の数値で実質GDP 成長率
は6.7%となっている。一人あたりGDPにしても、2007 年には487 米ドル、2008 年には
554 米ドルだったことを考えると、将来的なさらなる伸びが期待できる。
ただ、現状では縫製品輸出や海外にいるバングラデシュ労働者からの送金の比重が高い
とされ、国内での工業基盤の整備といった課題も多い。縫製品輸出では、日本への衣料
品という形での輸出も増えており、ここ数年でニット製品などの輸出量も急拡大してい
る。欧州経済危機の余波で欧米への輸出が伸び悩む中、日本・韓国・オーストラリア・
南米諸国などを重点国と位置づけ、輸出拡大を図っている。
財政的な観点でいうと、バングラデシュは慢性的な財政赤字に陥っている。赤字補填に
ついては、外国からの経済援助や国内の銀行からの借入に頼っているといわれ、本質的
な構造転換が求められる。政府の徴税能力不足や、国有企業の中でも非効率な部門への
赤字補填など、解決すべき課題が多いといわれる。

【世界でもっとも人口密度の高い国】
バングラデシュのマーケットを考える上でも、やはり宗教や民族構成についての理解は
十分にしておきたい。これについては、そもそも現在のバングラデシュが独立した経緯
について触れる必要がある。
第二次世界大戦頃まで、現在のバングラデシュはインドに含まれていた地域だ。そのイ
ンドがイギリスからの独立を達成した時、ヒンドゥー教徒の多かった地域がインドとな
り、イスラム教徒が多かった地域は1947 年にパキスタンとして分離独立することになる。

バングラデシュは、東パキスタンとして独立したのだが、地理的にインドを間に挟み、
現在のパキスタン(西パキスタン)との関係が悪化していく。東西パキスタンで言語や
文化が大きく異なっていたため、政治的な争いもあって摩擦が増大したといわれる。最
終的にバングラデシュは、第三次印パ戦争の後、1971 年に独立を果たすことになる。2
012 年は、日本と国交を樹立してから40 周年という記念の年でもある。
独立後は1990 年まで軍事政権が続いたが、平和裡に民主化へ移行し、現在は議院内閣制
が施行されている。ただし、途上国に見られがちな例ではあるが、政府機関での汚職が
大きな問題になっており、2007 年には非常事態宣言を出して選挙体制などを整備。200
8年に再び総選挙を行ってハシナ首相の新政権が発足し、現在へと続いている。この厳し
い汚職取り締まりについては、現在も継続して行われており、ビジネス活動の萎縮をも
たらす副作用もあるようだ。取り締まりの努力に、効果が比例しているとはいえないと
ころも、この問題の難しさを感じさせる。
バングラデシュの人口構成を見ると98%近く、つまりほとんどがベンガル人といわれる。
このため公用語はベンガル語であり、国教もイスラム教とされる。ただし、少数ながら
ヒンドゥー教徒や仏教徒も存在する。そ比率は、イスラム教徒90%程度、ヒンドゥー教
徒9%程度、仏教徒0.7%にキリスト教徒が0.3%といわれる。
国土の面積は日本の北海道の2 倍弱といったところだが、人口は1 億5 千万人近いと推
定されている(2010/11 年度・暫定値)。このため、世界の中でも人口密度の高い国と
して知られ、大都市圏には人口が集中している。
首都のダッカには1,280 万人以上(2008 年、統計局推定値)が暮らしており、面積を考
えれば東京以上の過密都市となっている。

【工業基盤の整備にも積極的な取り組みを見せる】
これまで経済発展が遅れていたバングラデシュでは、縫製品輸出をはじめとした軽工業
および農業などが産業の中心であり、近代的な重化学工業に必要なインフラ整備が整っ
ているとはいえなかった。
しかし、近年の輸入動向を見ると、縫製業に必要な綿の輸入のほかに、設備機械や小規
模火力発電所向けの石油燃料の輸入が増大するなど、工業系の分野でも成長が期待され
ている。韓国企業がバングラデシュ国内の道路や、自動車産業に投資を行う動きもあり、
今後の成長分野と目されている。

また、いまだに安価な労働力が魅力となって、日本やヨーロッパの企業だけではなく、
中国企業が生産拠点をバングラデシュに設ける動きもあるという。中国政府は2011 年か
らの5 ヵ年計画で、最低賃金上昇率を年率13%とする政策を採っており、より安価な労
働力を求めて国外へ進出する動きがあるようだ。こうなると日本企業がアジアへ進出し
た動きをなぞっているかのようだが、そういった投資の受け皿としてバングラデシュが
魅力的に思われていることの証左だ。
バングラデシュ財務省が発表した2010年のデータによれば、労働人口は5370 万人とされ
る。GDP に占める産業別の割合を見ると、半数近くがサービス業となる。卸・小売業と
運輸・倉庫・通信業がその中では大きな割合を占め、今後も発展が期待される。鉱工業
については製造業が大きな割合を占め、次いで建設業となるが、電気・ガス・水道とい
ったエネルギー関連や、鉱業の比率は小さい。
農林水産業については、機械化などの効率的な生産体制へ移行できておらず、穀物をは
じめとした食料生産の伸びが鈍い。サイクロンなど自然災害で農業にダメージを受ける
ことも度々であり、多くの人口を抱える国だけに食糧増産も喫緊の課題だ。

【ダッカなど大都市圏から進出の足がかりを】
バングラデシュへの進出を考える際には、工場を建設するのか、小売業などでマーケッ
トへの進出を図るのかによっても取るべき方策が大きく異なる。
バングラデシュでは、海外からの工場誘致を図るために輸出加工区(EPZ)を設けている。
近年は中国・韓国などからの投資が増加しており、首都ダッカやチッタゴンといった大
都市近郊のEPZ は、すでに一杯のところも多いという。このため、地方のEPZ へ目を向
ける企業もあるが、とりあえず大都市圏のEPZ にある企業と合弁のような形で、進出を
図る企業も多いようだ。インフラ整備の面から考えても、ダッカなどの大都市圏は今後
も重要な地域といえる。 
もちろん、小売業などでマーケットに打って出るにしても、ダッカなどが中心になるこ
とは間違いない。それでは次ページからは、ダッカのような大都市圏の実情がどんなも
のか、現地の生の声やデータをもとに、進出時のポイントを探ってみることにしよう。

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