バングラデシュのニュース(2015/05/04)

◆そのほか、イベント情報◆
・日本とバングラデシュの子どもたちがロボットを使って国際交流!
 日本×バングラデシュ姉妹学級プロジェクト
  http://goo.gl/HwH4jf
・バングラデシュ国際協力隊(BICP) 第二回現地渡航報告会 5月10日
 http://bicp.jimdo.com/
・貧困層の暮らしを守る戦略 バングラデシュのフィールド調査から 5月14日
 http://www.asnet.u-tokyo.ac.jp/node/7845

■見出し(2015年05月04日) No2015-18
◯日・バングラデシュ首脳会談
◯アフリカ支援で連携=日・インドネシア首脳会談
◯バングラデシュ: ラナプラザ・ビル倒壊事故から2年、労働者の権利は否定されたまま
 労働法の確実な実施、組合の不当扱いの停止 急務
◯バウルという生き方――ベンガル地方の「もうひとつのライフスタイル」
 村瀬智 / 文化人類学
◯ダッカの工場崩壊事故から2年、ファッション産業の仕組みは変わるか?
 東京でイベント開催
◯ネパールでM7.9の地震、数百人が死亡か
◯バングラデシュ・スウェーデン大使がロヒンギャ族について言及
◯【第115回】 貧困層の暮らしを守る戦略 バングラデシュのフィールド調査から/
 The strategy of the poor to protect their life in Bangladesh
◯思いはバングラデシュへ!(第1回アジアン・アートピック)
◯[久保田弘信]【変貌遂げるアジア最貧国バングラデシュ】~経済発展で格差拡大も~
◯書籍:「いのちの水をバングラデシュに」

■日・バングラデシュ首脳会談
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/bd/page1_000103.html
 (外務省 平成27年4月22日)

1.アジア・アフリカ会議60周年記念首脳会議出席のためインドネシア・ジャカル
タを訪問中の安倍晋三内閣総理大臣は,22日(水)15時(現地時間)から約15分
間,シェイク・ハシナ・バングラデシュ首相と会談しました。

2.安倍総理より,『昨年の我々の歴史的な相互訪問により,両国関係はゆるぎな
いものとなった。安保理を巡るハシナ首相の協力により両国関係が飛躍的に強化
されたことは喜ばしい。日本の国連安保理常任理事国入りへのバングラデシュの
支持に感謝する。』と述べました。
 また,「包括的パートナーシップ」の下,緊密に協力していきたいと述べた上
で,ベンガル湾産業成長地帯(BIG-B)構想の下で既に約束した最大6000億円の支
援を通じたバングラデシュへの協力,近く実施予定のバングラデシュの地方選挙
の自由・公正・平和裡の実施への期待等を表明しました。

3.これに対しハシナ首相より,昨年の衆院選での勝利に祝意を述べた上で,日本
はバングラデシュにとって独立以来の友人であり重要な開発パートナーである,
日本の支援に感謝するとしつつ,昨年の相互訪問を高く評価する,マタバリ石炭
火力発電所のほか,周辺のインフラ整備でも進展が見られ,日本経済特区の設置
等を通じ,日本からの投資が増加するよう期待する旨の発言がありました。

4.最後にバングラデシュの経済・社会情勢についてやりとりがあり,安倍総理よ
り安定した経済成長を達成しているハシナ首相のリーダーシップに敬意を表しま
した。

□関連リンク
・安倍総理大臣のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議出

 (平成27年4月21日~23日)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page3_001183.html
・バングラデシュ人民共和国
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bangladesh/index.html
・日・バングラデシュ首脳会談(概要)(平成26年9月6日)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/bd/page3_000904.html

■アフリカ支援で連携=日・インドネシア首脳会談
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015042200536
 (時事通信 2015年04月22日)

 【ジャカルタ時事】安倍晋三首相は22日、インドネシアのジョコ・ウィドド
大統領とジャカルタで会談し、アフリカ支援について、農業、教育など4分野で
連携を促進することで一致した。2国間の「戦略的パートナーシップ」強化も改
めて確認。こうした合意内容を共同文書で発表した。 
 両国がアフリカ支援で連携を進めるのは、(1)母子などの保健(2)稲作など
の農業(3)理数科などの教育(4)産業人材育成-の4分野。両国はこれまでも
マダガスカルへの農業支援や、エチオピアへの理数科教育支援で協力しており、
こうした取り組みをさらに拡大させる。
 両首脳は、中国が海洋進出で周辺国と摩擦を強める南シナ海の問題も協議。海
洋をめぐる問題で日本とインドネシアが責任を果たしていくことを確認した。
 安倍首相はこの後、バングラデシュのハシナ首相とも会談。昨年5月に合意し
た最大6000億円の経済支援を通じ、同国の発展に協力することを表明した。

■バングラデシュ: ラナプラザ・ビル倒壊事故から2年、労働者の権利は否定され
たまま
 労働法の確実な実施、組合の不当扱いの停止 急務
 http://www.hrw.org/ja/news/2015/04/22/2
 (ヒューマン・ライツ・ウオッチ 2015年04月22日)

(ダッカ)バングラデシュの縫製労働者は、劣悪な労働条件や工場経営者の労働
組合に対する不当行為(暴力含む)などに直面していると、本日発表の報告書内
でヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。1,100人超の犠牲者を出した2013年4
月24日のラナプラザ縫製工場ビルの倒壊から2年がたち、バングラデシュの工場を
より安全にする取組みが進められてはいる。しかし、労働組合結成や、よりよい
労働条件を求める活動などの労働者保護の国際労働基準の実施に向けて、バング
ラ政府および先進国小売業者には、やれること・やるべきことがもっとある。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局局長代理フィル・ロバートソンは、「
ラナプラザの悪夢のような大惨事を今後起こさないためには、バングラ政府は労
働法を実施して、縫製労働者が報復や解雇を恐れずに、職場の安全や労働条件に
ついての懸念を表す権利を享受できるようにする必要がある」と述べる。「工場
経営側が、組合活動を行う労働者を攻撃したり、そもそも組合結成の権利を否定
している。こうした工場の責任を政府が問わない限り、多数の労働者の命を奪っ
てきたこれまでのやり方が綿々と続くことになるだろう。」

報告書「出る杭は打たれる:バングラデシュの縫製工場における労働者の権利問
題」(全78ページ)は、44の工場で働く160人超の労働者に対する聞き取り調査を基
にしたもので、その大半は北米、欧州、オーストラリアの小売業者向けの衣料品
製造に携わっている。労働者たちは、肉体的な暴力や時に性的・精神的虐待、強
制的な時間外労働、有給での産休取得の拒否、賃金・ボーナスの一部不払・遅配
などの経営者側の不当取扱いを報告。労働法が近ごろ改正されたにも拘わらず、
こうした不当取扱いに立ち向かおうと労組結成を試みた労働者の多くが、解雇や
暴力(工場経営側からの場合も、雇われた第三者からの場合もある)などの報復
を受けた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、バングラデシュ政府、工場経営者、ならびに
先進国小売業者に対し、労働者の権利を尊重するよう、また工場主および監督者
が労働者代表たちを不当に標的にするのをやめさせるよう強く求めた。

ラナプラザでは、建物の壁の大きな亀裂を理由に工場に入ることを躊躇していた
労働者たちに対し、工場監督者たちは中に入ることを強制的に要求した。2012年
11月24日に火災が原因で112人が犠牲になったタズリーン縫製工場でも、火災警報
が作動した後も監督者たちが労働者の避難を禁止した。こうした監督者たちの要
求する無理難題と闘うべき労組は、いずれの工場にも存在していなかった。

ラナプラザの惨劇以来、労働法の一部規定に改正が加えられた。その結果、労組
の登録手続きが容易化したことから新しい組合結成・登録は促進されたものの、
労組のある縫製工場は未だ10%以下にすぎない。労組の代表者たちはヒューマン
・ライツ・ウォッチに対し、現在も工場監督者たちに標的にされており、監督者
および上司のいじめの対象となる危険や、雇われチンピラによる暴力に直面して
いると話す。労組を結成しようとした労働者がそれゆえに解雇された工場もある。
工場経営者およびに監督者たちはこれを否定している。バングラデシュ縫製業者
・輸出業者協会(Bangladesh Garment Manufacturers and Exporters Associati
on, BGMEA)の高官は「労働組合に関しては苦い経験がある。労働組合は、労働
者は働かなくても給料がもらえると信じているのだ」とヒューマン・ライツ・ウ
ォッチに語った。

労働者たちは、工場内で肉体的・精神的虐待や強制時間外労働、有給出産休暇取
得の拒否、予定された、または一括の賃金・ボーナスの不払い、トイレ休憩なし
のプレッシャー、飲料に適さない汚れた水など、虐待的処遇や劣悪な労働条件に
も日々直面している。縫製労働者の圧倒的多数が女性である一方、上司や監督者
はほとんどが男性であるため、時に精神的虐待が性的な色合いを帯びることもあ
る。

ガジプールのある工場の労組代表は、2014年1月に仲間と組合を結成しようとした
ときにひどい暴力を受け、多くの労働者が解雇されたと話す。彼女自身も妊娠中
に暴行され、夜間労働を強制されたすえ解雇されたという。未払いだった賃金も
全く受け取ることができなかったが、これらはひとえに組合結成をやめなかった
のが原因、と話す。「妊娠中だった2月に鉄製のカーテンレールで殴られました。
会長室に呼ばれて行ってみると、責任者や監督者が使用する3階の管理室に連れて
行かれ、地元のチンピラから暴力を受けたのです。」

前出のロバートソン局長代理は、「バングラデシュ政府と小売業者は、工場経営
者および監督者が、確実に労働者の権利を尊重するよう手を打つ必要があり、政
府は労働者の権利を侵害する個人の責任を追及せねばならない」と述べる。「工
場の安全対策のみでは不十分なのは明らかだ。安全対策の改善を求める団体交渉
を支援する労組を結成する権利などの、労働者の権利を尊重せずにいることと、
危険な労働条件は互いに繋がっていることを、近ごろバングラデシュで続く悲劇
の数々が証明している。」

労働者の保護の第一義的責任を負うのはバングラデシュ政府だ。ラナプラザの大
惨事以来、政府は工場・事業所検査総局(Directorate of Inspection for Fact
ories and Establishments)を強化。同局は職場での安全対策とその遵守状況を
モニターする責任をおっており、これまでに検査官数を増やしている。しかし労
働雇用省が、反労組的差別や脅迫、嫌がらせなどの不当労働行為を効果的に調査
・訴追し、かつ厳格に検査官らに法を遵守させるには、まだ多くの課題が残され
ていることをヒューマン・ライツ・ウォッチの調査は明らかにしている。

たとえばダッカのある工場では、女性の労組代表たちが労組登録書類を提出した
ところ、脅迫やいじめ、仕事量の劇的な増加などの報復を受けた。聞き取り調査
対象となった組合結成にかかわった女性6人すべてが、登録を模索する中で嫌がら
せにあったと話し、自宅でまで脅されたという女性も1人いた。「登録書類を提出
したとき、地元のチンピラたちが自宅に押しかけてきて脅されました。『もし工
場に近づけば、お前の腕や足を折ってやる』と。」これとは別の工場の労働者た
ちも、組合登録書類を2014年に提出した組合員らの一部が脅迫を受け、自宅から
避難せざるをえなかったと証言する。

世界的なアパレル・小売業者の多くは行動規範を設けており、商品の製造元に団
結権および団体交渉権を保障するよう求めており、工場の監督者たちはこれら行
動規範を遵守していると主張する。しかしこうした対策にもかかわらず、大手バ
イヤーが直接・間接的に派遣した検査官は、人権侵害および違反行為に単純に気
づかない、あるいは無視していることが多いと、工場労働者たちは証言する。

工場経営者とその製品を購入している業者には、縫製工場で起きている人権侵害
を予防する責任がある。人権リスクを特定の上軽減するための実質的な措置をと
り、ひとたび問題が起きた場合は是正措置もとるべきだ。国連のビジネスと人権
に関する指導原則が定めるように、企業は「たとえその影響を助長していない場
合であっても、取引関係によって企業の事業、製品またはサービスと直接的につ
ながっている人権への負の影響を防止または軽減するように努める」べきである
としている。

またバングラデシュ政府は、団結権および団体交渉権に関する国際労働機関条約
第87号と第98号を批准しており、これら条約は言及された諸権利の保護を義務づ
けている。しかし今にちまで、バングラデシュ労働法はこの基準を満たしていな
い。

バングラデシュ政府は、暴行や脅迫などの虐待を受けたとする労働者の申立ての
すべてを効果的かつ公平に調査し、加害者を訴追すべきだ。

バングラデシュの工場で製品を生産している企業は、直接・間接の工場査察を通
じて、生産工場が各社行動規範およびバングラデシュ労働法を遵守するよう確保
するため、速やかに行動すべきだ。労働者の団結権や、労組差別からの保護を拒
否する工場監督者の行動・慣行を効果的に察知・調査できるようにするため、世
界的アパレル業者は、直接・間接的の監査・査察体制を検証すべきだ。これらア
パレル業者および衣料品小売業者はまた、サプライチェーン上の透明性と、製品
の生産元であるバングラデシュのすべての工場の公開に同意すべきである。

加えて本報告書では、ラナプラザおよびタズリーンの大事故がもたらした影響に
ついても調査・検証した。3つの異なるイニシアチブ(火災予防・安全協定、バン
グラデシュ労働者の安全同盟、ILOが支援する政府派遣の検査官)がこれら工場の
安全性についてそれぞれ調査中だ。

とはいえ、ラナプラザ倒壊事故とタズリーン・ファッション工場火災事故の被害
者を適切に支援するための課題は山積みだ。生存者は、これまでに受け取った賠
償が、医療費や生業の喪失をカバーするのに十分なものではないと証言する。あ
る独立系委員会は、ラナプラザ倒壊事故の生存者と遺族に支払われるべき賠償総
額を3,000万米ドルと推定するが、2015年3月の時点で支払われた、あるいは約束
された額はわずか2,100米ドルにとどまっているという。タズリーン火災事故の被
害者の状況はラナプラザ倒壊事故のそれと比較すると、更によくない。持続的な
賠償キャンペーンがないためだ。欧州の小売業者C&Aがタズリーン火災事故の被害
者に対し2014年11月、「完全かつ公正な補償を念頭においたかなりの額」を約束
し、香港に本社のあるリー&フォン社は事故の直後に被害者支援の寄付をしてい
る。しかしその他の数社は、その工場に自社製品があるのを知らなかった又はそ
れを了解していなかったなどと主張し、支払いを一切を拒否している。

既成服産業はバングラデシュの輸出収入のほぼ80%を占める。これは国内総生産
(GDP)の10%以上に該当し、400万人超(大半が女性)の雇用を生み出している。
規模は様々だが、4,500超の工場から成る縫製産業は同国の大基幹産業であり、貧
困の削減に重要な役割を果たしてきた。しかしながら、急速な成長や政府による
建設・労働規制の実施の懈怠等が原因で、労働者への人権侵害や構造上の問題を
抱えた工場が生まれてしまった。

前出のロバートソン局長代理は、「バングラデシュにおける縫製セクターの経済
的成功が続くことで、誰もがその恩恵を受けている。小売業者や消費者、工場経
営者、そして政府だ」と述べる。「しかし、これら利益が人命の犠牲や、よりよ
い将来のために奮闘する縫製労働者に対する報復の上に立つものであっていいは
ずがない。」

抜粋証言:

4人が私を抑えつけて棒で足を殴り、2人が鉄の棒で妻の頭や背中を殴っていまし
た。妻は腕をひどく負傷して血を流し、指の骨も1本折れていて。頭を14針も縫っ
たんです。ミラを殴りながら彼らは、「組合活動をしたいだって?それじゃあ血
のシャワー攻めだな」と言いました。? チッタゴンにある縫製工場の外で、自ら
と妻が襲われたときのことを詳述するミトゥ・ダッタさん

私たちの工場では従業員の80%が女性なので、いずれは妊娠します。けれど工場
監督者たちは有給の妊娠休暇については何もしないのです。それに抗議したとき、
上司はひどい言葉を私たちに浴びせました。「セックスのことばかり考えている
なら、なぜここで働いている?売春宿にでも行け」と。? ダッカにある工場で働
く女性労働者

彼らは私を殴ったり叩いたり、耳や胸や両脇をボクシングみたいにパンチしてき
たので、私は倒れてしまいました。そうしたら今度は蹴られて。私は叫びました
…。? 受けられるはずの手当を受け取ることなく解雇された同僚の問題について
提起したところ、暴力を受けたと語る、ダッカの工場で働く男性労働者

■バウルという生き方――ベンガル地方の「もうひとつのライフスタイル」
 村瀬智 / 文化人類学
 http://synodos.jp/international/12492
 (シノドス 2015年04月23日)

わたしがおよそ30年間にわたって追いかけている研究テーマは、インド文明の人
類学的研究である。とくに、ベンガル地方の「バウル」とよばれる宗教的芸能集
団に焦点をあてて研究をすすめている。本稿では、ベンガルのバウルを紹介しつ
つ、「バウルという生き方」について考察する。

風狂の歌びと

バウルがベンガル社会にあたえているイメージは、わざと社会の規範からはずれ
ようとする狂人のイメージである。バウルはカーストやカースト制度をいっさい
みとめない。またバウルは、偶像崇拝や寺院礼拝をいっさいおこなわない。彼ら
の自由奔放で神秘主義的な思想は、世間の常識や社会通念からはずれることがあ
り、人びとからは常軌を逸した集団とみなされることがおおいのである。実際に、
ベンガル語の「バウル」という語は、もともと「狂気」という意味である。そし
てその語源は、サンスクリット語の“vatula”(「風邪の熱気にあてられた」、
「気が狂った」)、あるいは“vyakula”(「無我夢中で」、「混乱した」)に由
来するようである。

バウルの歴史がどこまでさかのぼれるかは不明である。しかし中世のベンガル語
の文献では、バウルという語は、牛飼い女のゴーピーがクリシュナに恋をしたよ
うに、「(神に恋をして)狂気になった人」という意味でつかわれはじめている。
たとえば、16世紀のベンガルの熱狂的な宗教運動の指導者チャイタニヤ(Caitan
ya 1485-1533)の伝記には、「我、クリシュナのはてしなき甘露の海にさまよい、
狂気(バウル)となれり」といったような文脈でしばしばでてくる。しかしバウ
ルという語が、そのころに狂人のような宗教的態度の「個人」をさしていたのか、
あるいは「宗派」としての意味をもちはじめていたのかどうかは、まったくあき
らかでない。

現代のベンガルでは、バウルという語にはまだ「狂気」というふかい意味がひそ
んでいるが、その語はもっぱら「バウルの歌と音楽を伝承する一群の人びと」、
あるいは「バウルの歌と宗教を伝承する一群の人びと」をさす、といってさしつ
かえない。このような、バウルという語の語源や中世の文献での使われ方、そし
て現代での意味合いやイメージを考慮して、ベンガルのバウルのことを、「風狂
の歌びと」とでも名づけておこう。

マドゥコリの生活

さて、そのバウルとよばれる「一群の人びと」が、いったい何人いるのかあきら
かではない。インド政府が10年に一度おこなう国勢調査の数字にあらわれてこな
いほど、バウルは少数である。それにもかかわらず、バウルはベンガル社会で、
はっきりと目立つ存在なのである。バウルがベンガル社会で目立つのは、彼らの
ライフスタイルが、一般のベンガル人のそれとは根本的に異なっているからであ
る。そのちがいは、「生活費の稼ぎ方」である。

バウルは、世俗的な意味で非生産的である。彼らは農業労働や工業生産、手工芸
作業、商業活動などに、いっさい従事していない。バウルは、一般のベンガル人
に経済的に依存し「マドゥコリ」をして生活費を稼いでいるのである。ベンガル
語の辞書は、「マドゥコリ」という語を、「蜂が花から花へと蜜を集めるように、
一軒一軒物乞いをして歩くこと」と説明している。すなわち、ベンガルのバウル
とは、「みずからバウルと名のり、バウルの衣装を身にまとい、門口でバウルの
歌をうたったり、あるいは神の御名を唱えたりして、米やお金をもらって歩く人
たち」のことである。バウルは、世捨て人のようなゲルア色(黄土色)の衣装を
着て、「門づけ」や「たく鉢」をして生活費を稼いでいるのである。

バウルの道

マドゥコリの生活は、ひとりの人間が「バウルになる」ためにも、また「バウル
である」ためにも不可欠の要件である。これは彼らが選んだライフスタイルであ
る。そしてこのライフスタイルそのものが、彼らが主張する「バウルの道」(バ
ウル・ポト)の基本なのである。バウルの道とは、「マドゥコリの生活にはじま
り、神との合一という究極の目標にいたる道」である。それは「人間の肉体は、
真理の容器」という彼らの信仰に基づいている。

この信仰をもうすこし整理すると、ふたつの原理に分解できる。

(1)人間の肉体は、宇宙にあるひとつの「もの」であるだけでなく、宇宙の「縮
図」である。
(2)人間の肉体は、神の「住処」であるばかりでなく、神を実感するための唯一
の「媒介物」である。

つまりバウルは、人間の肉体を小宇宙とみなし、みずからの肉体に宿る神と合一
するために、みずからの肉体を駆使して「サドナ」(成就法)とよばれる宗教儀
礼を実践するのである。このサドナには、ヨーガの呼吸法や坐法を通じておこな
われる性的儀礼や、宇宙を構成する五粗大元素(すなわち「地」、「水」、「火」
、「風」、「空」)を、人間の器官や分泌物にたとえておこなわれる儀礼などを
ともなう。そして、サドナに関することがらは、もっぱらグル(師)から弟子へ、
こっそりと伝えられるのである。

バウルの歌

バウルの宗教はバウルの歌に表現されている。しかしバウルの宗教には秘密のこ
とがらがおおいので、その秘密をうたいこんだバウルの歌には、しばしば「なぞ
めいた用語」(サンダー・バーシャー)が使用されている。つまりバウルの歌に
は、表面上の意味の奥ふかくに隠された「真の意味」を表現するために、暗号の
ような語句や表現が意図的に使用されているのである。このためバウルの歌は部
外者にとっては難解で、いくつもの解釈が可能であったり、あるいは意味不明の
ことが多い。その反面、部内者には「なぞ解き」をするようなおもしろさがある
といわれる。

ときどき夕方などに、グルのアーシュラム(庵)に弟子たちが集まってくること
がある。そこでもサドナについて議論されることがあるが、それは主としてバウ
ルの歌の解釈を通じてである。彼らはバウルの歌をうたい、バウルの歌の「なぞ
解き」を楽しんでいるのである。しかし、歌の「真の意味」は秘密とされ、議論
はグルとその弟子たちのあいだにかぎられるのである。

もうひとつのライフスタイル

それでは、ベンガル社会の「だれが」、「なぜ」マドゥコリの生活を採用し、バ
ウルになったのであろうか。

バウルに、なぜバウルになったのかという質問をすると、十中八、九、「子ども
のころから歌や音楽がすきだったからだ」という答がかえってくる。しかし、個
々のバウルのライフヒストリーを詳細に検討してみると、長期にわたる心理的・
社会的・経済的不安を経験したのちに、バウルになったようである。

ベンガル社会の一群の人びとが、なぜバウルの道をえらんだのかを、ただひとつ
の要因をあげて説明することはできない。彼らがバウルになった動機には、いく
つもの要因が複雑に絡みあっているのがふつうである。それらは、慢性的な貧困、
低いカースト身分による抑圧、本人の意志のはいりこむ余地のない結婚に対する
不安、世代間の反目、父母の別居による家庭崩壊、乳・幼児期における親の死の
経験、そして異母兄弟との土地所有権や相続権をめぐる争いなど、解決できない
抑圧の具体的な経験である。

このように、バウルになる動機となった要因のおおくは、カースト社会に内在し
ている特質や矛盾に由来するようである。そしてそれらの要因が、彼らを脱出で
きない貧困に追いこみ、結果として生じた感情的な緊張や心理的な不調和は、バ
ウルには、「現実」であるが「耐えがたい」と感じられていたようである。カー
ストの地位や身分による限界、インドの家族制度や結婚制度の特性、経済的な不
安定さなどに起因するこれらの社会的・心理的な問題に対する解答は、「苛酷な
現実に耐える」か「耐えがたい現実から自由になる」かの二者択一である。この
ような状況のなかで、わたしがインタビューしたバウルのおおくは、自分の身に
降りかかった問題に対する意味ある解決策を、文化的に是認された「世捨て」、
すなわち「マドゥコリの生活」に見いだすことができたのである。

マドゥコリの生活は、個人の選択肢が制限されたカースト社会における、選択可
能な「もうひとつのライフスタイル」である。マドゥコリの生活は、それがどの
ような形態であれ、カースト制度が存続するかぎり、個人が生き延びるための「
生存戦略」として、これからも存続するだろう。またマドゥコリの生活は、カー
スト社会のなかで差別されたり排斥された人びとや、カースト社会の社会関係や
規範に疑問をもつ人びとの心理的・社会的な「適応戦略」として、これからも選
択されるだろう。

マドゥコリの生活がいかにきびしいものであっても、バウルの道は、おなじ道を
あゆむバウルのあいだに仲間意識をそだてる。ディッカ(特定のグルへの入門式)
やベック(世捨て人の身分への通過儀礼)を通じて、グルとの師弟関係を軸にキョ
ウダイ弟子をつくり、擬制的親族関係の輪をひろげる。さらにバウルの道は、宗
教的トレーニングを通じてバウルを鍛える。バウルの歌を通じてバウルの宗教を
学び、ヨーガを通じて自己鍛錬に努力したバウルは、精神的にも肉体的にも自信
をもつようになる。そして、みずからの肉体に存在する神を実感するために、サ
ドナを実践するのである。バウルの道の究極の目標に達したバウルは、宗教的求
道者として、世俗の人びとからも尊敬されるのである。

バウルのライフヒストリーは、バウルがベンガル社会の「周縁部」の輪郭のはっ
きりした集団であることを十分に示している。ベンガル社会の大多数の人生を規
定するカースト制度に対する彼らの否定は、バウルを社会の外側に、そして対立
するものとして位置づける。それにもかかわらず、バウルは社会的に認知された
周縁的集団の構成員として、ベンガル社会と親密に共存している。

このように、ベンガル社会の「世俗の人びと」と「バウル」とのあいだには社会
的・文化的な緊張と均衡が日常的に存在する。そして、バウルという周縁的人間
の存在そのものが、ベンガル社会の「中心部」の崩壊を守っているかのようであ
る。なぜなら「バウルの道」は、カースト制度がいまだに根強いベンガル社会に
おいて、社会を拒否したり、あるいは社会に拒否された人に、「もうひとつのラ
イフスタイル」を提供しているからである。それはあたかも、必然的に矛盾をふ
くまざるをえない複合社会が周縁的人間を生みだし、その周縁的人間の存在その
ものが、社会全体を完全な分裂から守っているかのようである。しかしバウルに
とっては、カースト制度の維持にはたす彼らの役割は、まったく理解の範囲をこ
えたものであろう。

ドルソン現象

さて、世俗の人びとと世捨て人との関係を考察するために、インドの聖地ではど
こでも観察される「ドルソン(ダルシャナ)現象」についてふれておかねばなら
ない。

ドルソン現象とは、ヒンドゥー教の出家修行者「サードゥー」に対する、世俗の
人びとの態度の根拠となっている信仰形態である。「ドルソン」という語は、「
見ること」あるいは「知らせること」という意味である。ベンガル語の日常的な
会話の文脈では、「ドルソンを得る」とは「ちらりと見ること」であり、「ドル
ソンを与える」とは「ちらっと姿を見せること」である。世俗の人びとにとって
は、聖地を巡礼するサードゥーをちらっと見ることは、聖地の寺院に祀られた神
像をちらっと見ることに相応するとされている。そして世俗の人びとは、敬けん
なヒンドゥー教徒が神像を取り扱うのとおなじやり方で、サードゥーに丁重に接
しなければならないのである。それは、「ドルソンを得た」ことに対する返礼で
ある。しかしサードゥー自身は、「ドルソンを与える」ほかには、俗人に対して
なんの義務もないのである。

現代においても、カースト社会に生きる世俗の人びとにとって、サードゥーは相
反する生活様式を採用した人であるが、「究極の理想を追求する人」として存在
しているのである。そして世俗の人びとは、サードゥーに食べ物や金品を与えて
世話をし、サードゥーの生存を保証しているのである。それは、世俗の人びとに
とって「スヴァ・ダルマ」(本分)とされているのである。

バウルは、サードゥーのようなゲルア色の衣装を着て、門口でバウルの歌をうた
ったり、神の御名を唱えたりして、「ドルソンを与えている」のである。世俗の
人びとは、「ドルソンを得た」返礼として、一握りの米や季節の野菜をバウルに
施与し、バウルの生存を保証しているのである。

近年のインドの急速な経済成長には目を見張るものがある。しかし、急速な経済
成長は物価の上昇をともなう。たとえば米1キログラムの値段は、1988年では4ル
ピーだったが、2007年では22ルピーに上昇した。しかしバウルにとって、マドゥ
コリの生活の重要性は変化していない。現在でも、バウルが村で1日マドゥコリを
すると、米2?3キログラム、季節の野菜1?2キログラムを集めることができる。そ
れは20年前と変化していない。バウルが村人から喜捨として受けとる米や季節の
野菜などの「現物」の価値は、物価の上昇に影響されない。バウルは、村でマド
ゥコリをするかぎり、生活の基盤は脅かされないのである。

「バウルの道」(バウル・ポト)は、「サードゥー」(ヒンドゥー教の出家修行
者)や「ヨーギー」(ヨーガ行者)、「ボイラギ」(ヴィシュヌ派の出家行者)、
「ファッキール」(イスラム神秘主義の行者)など、ベンガル社会に存在するい
くつかの「世捨ての道」(ションナーシ・ポト)のひとつである。インド文明に
は、カースト制度にともなって、それと矛盾する世捨ての制度が、文明の装置と
して組み込まれているのである。

■ダッカの工場崩壊事故から2年、ファッション産業の仕組みは変わるか?
 東京でイベント開催
 http://www.fashionsnap.com/news/2015-04-25/fashion-revolution-2015/ 
 (ファッションスナップ 2015年04月25日)

 バングラデシュ・ダッカ郊外サバール地区で起こった衣料品工場の崩壊事故を
きっかけに、先進国主導のファッション産業のあり方に焦点が当てられ、4月24日
が「ファッションレボリューションデー」に制定された。今年も世界中で様々な
イベントが開催され、日本ではフェアトレードブランドの「ピープル・ツリー」
がトークショーを主催した。

「ファッションレボリューションデー」は、死者1,133人、負傷者2,500人以上を
出したバングラディシュの大惨事を繰り返さないためにファッション産業のあり
方を問い直し、生産過程の透明性を訴えるために2014年に制定されたグローバル
デー。2回目を迎える今年は71カ国が参加を表明し、各国独自のイベントとしてト
ークショーやファッションショーなどを開催。日本では参加型ワークショップと
トークショーが行われ、繊研新聞社の中村善春とファッションジャーナリストの
生駒芳子がゲストスピーカーとして参加。日本国内の問題を中心にエシカルファ
ッションに対する現在の取り組みと今後についてトークを繰り広げた。

 トークショーの中で中村は現状について「アパレルの市場規模が近年縮小傾向
にあるのは、服の単価が下がっているため。実際に、世界の衣服の約45%はファ
ストファッションなどの安価な服と言われている。しかし現在、数量・価格重視
から質重視の時代に推移してきている」と分析。今後のファッションのあり方に
ついては「企業が消費者の”心”に訴える商品を生み出さなくてはいけない。もの
が溢れる時代に、その製品が誰によってどのように作られたかを含めて、『より
良いものとは何なのか』を考える時代になってきている。エシカルを一過性のも
ので捉えるのではなく、ライフスタイルに取り込んでいくことが重要」と語った。
生駒は、エシカルファッションの分野で欧米と日本の動きに温度差があることに
ついて、日本の産業構造に問題があるとし「日本は、経営陣と生産者やデザイン
との間に繋がりがない。ここが一体化していかないと大きなアクションにつなが
らない」と指摘。「日本のエシカルファッションへの取り組みは、先進国では最
下位レベル。我々にできることは、一人ひとりが社会的責任を果たしていくとい
うこと。特定の企業の商品を購買するという行為でも意思表示ができる」とし、
日本でも個人の意識が高まることが必要だと強調した。
 事故が起こったビル「ラナ・プラザ」には、欧米の大手ファッションメーカー
が多数入居しており、管理体制を疑問視する声が世界中で上がった。事故後、多
くのアパレルブランドは「バングラデシュにおける火災予防および建設物の安全
に関わる協定(Accord on Fire and Building Safety in Bangladesh)」に署名
し、工場の安全検査や労働環境の改善を推し進めている。去年ロンドンでは協定
に署名しなかったアパレルブランドの店舗前でデモが行われるなど、事故後の対
応がブランドの評判を左右し、企業の社会的責任が改めて問われることとなった。
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチが発表した報告書によると「生存者や
遺族がこれまでに受け取った賠償は医療費や生業の喪失をカバーするのに十分な
ものではなく、未だ労働組合のある縫製工場はバングラディシュ国内で10%以下
にすぎない」とし、事故から2年経った今でも政府や先進国主導で解決すべき課題
は山積みだという。

■ネパールでM7.9の地震、数百人が死亡か
 http://www.afpbb.com/articles/-/3046462?ctm_campaign=topstory
 (時事通信 2015年04月25日)

【4月25日 AFP】(一部更新、写真追加)ネパールで25日午前11時56分(日本時間
午後3時11分)ごろ、マグニチュード(M)7.9の地震が発生した。米地質調査所(
United States Geological Survey、USGS)によると震源は首都カトマンズ(Kat
hmandu)の北西81キロ、観光名所ポカラ(Pokhara)の東68キロの地点で、震源の
深さは15キロ。

?報道や現地の人の話によると揺れは30秒~2分ほど続き、ネパール全域に加えて
インドの首都ニューデリー(New Delhi)などでも強い揺れが感じられた。当初、
この地震のマグニチュードは7.5と発表されていたが、7.9に訂正された。

?カトマンズにいたAFP記者によると、現地では建物の壁が崩れ、建物の中にいた
人たちが屋外に飛び出した。余震も起きているという。

?インドのナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相はツイッター(Twitter)で、
「われわれは情報収集に当たっているところだ。わが国とネパール両国の被災者
に支援の手を差し伸べようとしている」と書き込んだ。ニューデリーにあるAFPの
オフィスでは2度にわたって中にいた人たちが避難した。

?インド気象局(India Meteorological Department、IMD)のラクスマン・シン・
ラトール(Laxman Singh Rathore)局長は記者団に対し、インド北部の広い範囲
でこの地震による揺れが感じられたと述べるとともに、本震の約20分後にマグニ
チュード6.6の余震が起きたことを明らかにして、今後も余震への警戒が必要だと
呼び掛けた。

?同局長によると地震の揺れが続いた時間は場所によって異なり、デリーでは50~
55秒程度だったという。

?この地震によりバングラデシュ国内の広い地域も揺れ、首都ダッカ(Dhaka)で
はパニックになった人たちが道路に飛び出した。ダッカ郊外のサバール(Savar)
地区では衣料品工場で従業員が将棋倒しになり、少なくとも50人が負傷した。

?インド北東部で2011年に発生したマグニチュード6.9の地震ではネパールでも揺
れが観測され、110人が死亡している。

□「ネパール国内で数百人死亡」と外交筋

?インド・ニューデリーにある在印ネパール大使館のクリシュナプラサド・ダカー
ル(Krishna Prasad Dhakal)代理大使はAFPに対し、「今回の地震によりネパー
ル国内で大きな物的・人的被害が出ているという報告を受けている。ネパール各
地、特にカトマンズとポカラで数百人が死亡したとみられる」と述べた。(c)AFP

■バングラデシュ・スウェーデン大使がロヒンギャ族について言及
 http://www.myanmar-news.asia/news_aqP3T7nB1G.html
 (ミャンマーニュース 2015年5月1日)

ロヒンギャ族問題解決にはミャンマー政府の決断が重要
4月27日、バングラデシュ・ダッカのスウェーデン大使Johan Frisell氏が、バン
グラデシュ国際戦略スタディー・インスティテュート(BIISS)にて、ヨーロッパ
とアジアの外交政策について講義を行った。講義では、ミャンマーの少数民族ロ
ヒンギャ族についても言及があった。

Frisell氏は、ロヒンギャ族の問題を「非常に痛ましい未解決な問題」と述べた。
また、「ミャンマーには多くのロヒンギャ族を受け入れるシステムが整っていな
い」としながらも、問題の解決と彼らの平和は、ミャンマー政府の決断にかかっ
ていることを主張した。

両国とも正式な受け入れを否定 国際社会が介入するも解決せず
バングラデシュには、ミャンマーでの宗教的迫害から逃れたロヒンギャ族が難民
として暮らしている。バングラデシュは、彼らに正式な国民とは認めていない。

国連やアメリカなど、国際社会はロヒンギャ族をミャンマー国民として認識して
いる。しかし、ミャンマー政府は彼らをベンガル人と認識し、バングラデシュか
らの違法移民として扱っている。

Frisell氏は、

最善の結果はミャンマー政府によって導かれる。私たちは、ロヒンギャ族が自分
の国で平和な生活を送るため、ミャンマー政府が条件を整えることが必要だと認
識している。(bdnews24.comより)

と述べている。

■【第115回】 貧困層の暮らしを守る戦略 バングラデシュのフィールド調査か
ら/
 The strategy of the poor to protect their life in Bangladesh
 http://www.asnet.u-tokyo.ac.jp/node/7845
 (東京大学 2015年5月14日)

以下の通り、第115回目の東文研・ASNET共催セミナーを開催します。

【日時 / Date】  
2015年5月14日(木) 17:00-18:00 May 15 (Thu), 5:00-6:00 p.m.

【会場 / Venue】  
東京大学 東洋文化研究所 1階 ロビー
Ground Floor, Institute for Advanced Studies on Asia, The University of
Tokyo

【報告者】  
石坂貴美 氏 (東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程)
Takami ISHIZAKA (Ph.D Student, Graduate School of Arts and Sciences, The
University of Tokyo)

【題名 / Title】  
貧困層の暮らしを守る戦略 バングラデシュのフィールド調査から
The strategy of the poor to protect their life in Bangladesh

【コメンテーター / Commentator】
池本幸生 氏 (東京大学 東洋文化研究所・教授)
Yukio Ikemoto (Professor, IASA, The University of Tokyo)

【要旨 / Abstract】
社会保障制度の整備が遅れている低所得国では、災害、傷病等により暮らしが貧
窮するリスクが高く、貧困層はより多くリスクにさらされている。本セミナーで
は、バングラデシュにおいて実施したマイクロファイナンス機関の医療保険調査
の結果を報告するとともに、当事者が主体となって取り組んでいる生産者組合や
貯蓄グループの活動、食料の共同備蓄の事例を紹介し、共助によるセーフティ・
ネット構築の可能性を考察する。

■思いはバングラデシュへ!(第1回アジアン・アートピック)
 http://blog.city.tsukubamirai.lg.jp/blog/itabashi/archives/19852
 (つくばみらい市立板橋小学校 2015年5月4日)

岡倉天心没後100年を経て,「アジアは一つ」の思想と心を引き継ぎ,アジア
の子ども達の絵画作品展が開かれています。本校からも,19人の児童の作品(
昨年度描いたもの)が出品されています。作品は,5/3(日)まで茨城県立つく
ば美術館で展示されていましたが,5/8から1週間バングラデシュにも展示され
ます。(昨年度の学年表記になっています)

■[久保田弘信]【変貌遂げるアジア最貧国バングラデシュ】~経済発展で格差
拡大も~
 http://japan-indepth.jp/?p=17913
 (Japan In-depth 2015年5月3日)

かつて、アジア最貧国と言われたバングラデシュだが、この数年飛躍的な経済成
長を遂げている。首都ダッカを訪れれば、大型ショッピングモールがあり、街中
にはリキシャー(人力車)に混じって高級車が走っていてアジア最貧国とはかけ
離れた風景を目にするだろう。しかし、一歩奥に足を踏み入れると首都ダッカに
も多くのスラムが存在する事に気づく事になる。
ダッカ市内に日本のODAで建てられたパンパシフィック・ショナルガオン・ホテル
がある。ショナルガオン・ホテルからほんの数分歩けば線路に行き当たるが、そ
の線路沿いにスラム街が広がっている。通常、スラム街は隔離されていて、その
国に住む一般の人がスラムに足を踏み入れる事は殆どない。

しかし、この線路沿いのスラムはすぐ高級ホテルやカウランバザールに隣接して
いて、近道をする為に多くの人が線路沿いを歩く不思議なスラム街となっている。

スラムの人が一般の人を襲う事もなく、一般の人がスラムに住む人達を蔑む様子
もみられない。線路沿いにはいくつもの露天商が並び、スラム外の人がお買い物
をするシーンも見られる。世界でもっとも安全なスラム街ではないかと思う程治
安が良い。

とはいえ、そこはスラム街。住居環境は最悪で、冬は寒さ、夏は暑さとの闘いが
待っている。衛生環境が悪く、マラリアやデング熱も度々流行している。

そんな最悪とも思える環境下で暮らしているスラムの人達だが、悲観した様子が
なく、みんな明るいのに驚かされる。

裸足で寒さを凌ぐ為にビニールを燃やして暖をとる少女、僕のカメラに最高の笑
顔を見せてくれた。線路沿いでゴミを集めていた子供達、この子達も最高の笑顔
を見せてくれた。スラム街に高級カメラを持って取材に入る事は結構な緊張感が
伴うものだが、バングラデシュのスラム取材には緊張感がない。

「写真を撮ってくれ」と近づいて来る子供は多いが、「お金や物を恵んでくれ」
と言ってくる子供はいない。それどころか、お家に招待され、「夕ご飯をたべて
いきなさいよ」と誘われる事も多々ある。

バングラデシュには「ダワット」という言葉がある。直訳すれば「ご招待」。バ
ングラデシュの人達は少し仲良くなるとすぐに食事に招待してくれる。その文化
はスラム街にあっても変わる事がない。

そんな穏やかなバングラデシュが急激な経済発展によって変わり始めている。

貧富の差は今まで以上に拡大し、政治の汚職は止まる事を知らない。人々の不満
が爆発し、ホルタルというデモが激化しつつある。数年前までホルタルは単なる
デモ行進だったが、近年では投石だけでなく銃の発砲による死者まで出る過激な
ものとなりつつある。

経済発展を見越して、日本の企業も進出しているバングラデシュ。一部の人だけ
でなく、最下層の人達も恩恵を受けられる経済発展に寄与して欲しいと思う。

■書籍:「いのちの水をバングラデシュに」
 http://jica-ri.jica.go.jp/ja/publication/projecthistory/post_12.html
 https://www.saiki.co.jp/Bangladesh/
 (佐伯印刷株式会社 2015年3月)

JICA研究所では、これまでに行ってきたJICAの事業を振り返り、その軌跡と成果
を分析して書籍としてまとめた「プロジェクト・ヒストリー」シリーズを刊行し
ています。本シリーズの第12弾として、『いのちの水をバングラデシュに 砒素
がくれた贈りもの』を刊行しました。

本書は、宮崎県を拠点に活動するNGOアジア砒素ネットワーク(AAN)が、バング
ラデシュの飲み水の砒素(ヒ素)汚染の問題に20年以上にわたり取り組んできた
軌跡を描いたものです。飲料水に砒素が溶け出すメカニズムが明らかではなく、
これを完全に取り除いた飲料水を提供することが、技術的にも、文化の面でも容
易ではない砒素。本書はAANが多くの人びとと協働し、JICAとも連携して進めてき
た活動の記録です。

本書の著者川原一之氏は、朝日新聞の若き記者として宮崎支局に勤務していた19
71年、宮崎県高千穂町の旧土呂久鉱山による砒素公害の問題を知ります。川原氏
はこの「砒素」によって、飲み水の砒素汚染に悩まされる南アジアの一国、バン
グラデシュに運ばれます。そしてバングラデシュという国で、まさに人生をかけ
てバングラデシュの人びとの飲み水の問題に取り組むことになるのです。「砒素」
はまた、川原氏に多くの人との出会いをもたらします。土呂久鉱山による砒素公
害からの救済を支援するためのネットワークから始まったアジア砒素ネットワー
クの活動を支える人、参加する人。また、応用地質研究会という科学者や技術者
のネットワークやJICAとの出会い。そして砒素の健康被害に苦しむ村の人びと、
命を奪われる人びと。自らの国の問題に取り組む立場にあるバングラデシュの政
治家や政府関係者、これを支援する国際機関や諸外国の関係者。本書は、「砒素」
によって人生が変わり、「砒素」によってもたらされた出会いとつながりの中で、
砒素がもたらす問題に全力に取り組んできた川原氏のライフヒストリーです。

販売価格 ¥1,500+税
著 者:川原 一之
発売日:2015年3月
ページ数:A5判192頁(一部カラー)並製本
ISBNコード:978-4-905428-52-7
発行所:佐伯印刷株式会社 出版事業部
編集・印刷・製本:佐伯印刷株式会社
 

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