40年前の記事を抜粋して電子化しています。
40年前のバングラデシュ独立後を伝える日本での報道です。
このため、現在では使えない表現や異なる地名・表記があります。
■見出し(1976年)
◯メッカは遠く1 貧困と平和のダッカ
リキシャの水揚げ1日200円 「シラミ取り5円」幼い声
読売新聞 1976年5月6日
◯メッカは遠く2 政府高官がツマミ食い
時おり救援物資さえ店頭に 種籾も食べた植えた農民
読売新聞 1976年5月7日
◯メッカは遠く3 農耕革命ポンプ導入
「ボロ」栽培に大きなプラス 隊員の熱心さに政府も関心
読売新聞 1976年5月8日
◯メッカは遠く4 豊作でも輸入食糧だより
酒もコーヒーも高級品 日本人に深い感謝の念
読売新聞 昭和51年5月10日
◯メッカは遠く5 協力隊の現場 暴れ者でも川は命
交通、農耕―生活のすべて インドとホットな水量論争
1976年5月11日
◯メッカは遠く6 気の長い石油への夢
出荷前に食べられちゃう 育児制限に悩み深い政府
1976年5月12日
◯(特集)インド亜大陸 不安定な安定いつまで
コメにかける“ギャンブル政治” 大豊作が矛盾を隠す
インフレも強権で鎮圧 火ダネかかえるバングラデシュ
再び強まる親パ感情 力のインドへ強い警戒_インド亜大陸
朝日新聞 1976年3月13日
◯新局面のインド亜大陸 印パ復交
平和定着には時間 「バングラ」なお不協和音_印パ復交
(朝日新聞 1976年5月17日)
◯インド亜大陸の水争い 経済利害モロに対立
バングラデシュ 国際問題化ねらう_インドとの水争い
(朝日新聞 1976年5月19日)
◯バングラ 前大統領ら逮捕 女性政治家も二人 反対勢力除く意図
朝日新聞 1976年12月1日
◯軍との対立表面化 前大統領らの逮捕_バングラデシュ
朝日新聞 1976年12月2日
◯エピローグ’76 <バングラの多重苦>
「食わすことが」政治 独裁でカンフル効果はあったが―
読売新聞 1976年12月22日
◯カジ・ナズルル・イスラム氏
読売新聞 1976年8月30日
■メッカは遠く1 貧困と平和のダッカ
リキシャの水揚げ1日200円 「シラミ取り5円」幼い声
読売新聞 1976年5月6日
異境で汗を流す日本青年海外協力隊員の活動を追って、ベンガル湾を挟んだ2つ
の回教国を訪れた。
飢えとの戦いが続くバングラデシュ。人種問題を抱えたマレーシア。そこで働く
日本の若者の周囲には、アジアの”難題”を背負いながら、遥かなメッカを目指す
民族の姿があった。
いたるところに、「アラー」がいた。
6月から始まる雨季を控えて灼熱の太陽が照りつけるバングラデシュ。40度を越す
強烈な日差しの中で、物乞いが、けだるそうに手を伸ばしてくる。
「アラーの神よ」とつぶやきながら。
首都ダッカ。ガソリンスタンドで給油中、小さな「アラー」に取り囲まれた。ま
だ5,6歳の少年が10人前後。彼らは英語で口々に叫んだ。「ノー・ファーザー、ノ
ー・マザー、ノー・ブラザー、ノー・シスター」。 すかさず車窓へ、ちっちゃな
手が伸びてきた。
ダッカ市内で取材中、車がエンコした。運転手と二人で車を押し始めると、もの
の1分もたたないうちに二十以上の手が集まった。昼下がりの太陽を避けて店先に
座り込んでいたお年寄りが、”バス”に乗り遅れまいと、曲がった腰で駆け寄って
きた。やっと口がきけるくらいの幼児まで、人垣の後から手を伸ばしていた。
そしてエンジンがかかると一斉に手を差し出して「押し賃をくれ」。―
タクシーの少ないバングラデシュでは、人力車を自転車で引く「リキシャ」が、
バス、鉄道と並ぶ主要な交通機関だ。
ロムギ(腰巻き)をまとっただけの上半身裸裸足玉の汗を流しながら焼けるよう
な社内走る。
アブドルと名乗るリキシャひきによると「一日汗水を流してもうけは10タカ(20
0円)前後。アホらしくてやってられませんワ」。奥さんと子供6人を抱えたアブ
ドルの顔には、深いシワと一緒に天然痘の後が点々と残っていた。
米1キロ60円、サリー1枚2000円。今年初めて発売されたフィルター付きタバコは
1箱(10本入り)約90円。そのたばこをアブドルは一本ずつ買う。箱買いができ
るような高級とりは、限られたエリートだけだ。
アブドルが言った。「楽しみと言ったら、子供の成長だけ」。子供たちの働く姿
を、落ダッカではしばしば見かけた。
たばこ売り、雑誌売りを始め、ココナツの実を肩に食い入るほど担いで売り歩い
ているのも6,7歳の子だ。道端で頭髪をかき分けシラミを潰すのは痩せた子供の仕
事。1人あたま5円程度の収入を求めて「シラミ取りはいかが」と声を張り上げる。
だが、バングラデシュであった人々は口々に言った。「今が一番平和な時だ」と。
5年前、300万人の命と引き換えに独立を勝ち取った。
2年前の7月には大洪水。政府発表で2万人、現地の新聞によると10万人という餓死
者を出した。
そしていま、ダッカのニューマーケットには、ロムギとサリーのベンガル人が溢
れている。独立戦争でパキスタン軍が降伏文書に署名したダッカ・スタジアムで
は、サッカーの試合が再開された。
「天然痘患者を見つけた人には、500タカを差し上げます」というポスターが、平
和の”あかし”でもあるかのように、繁華街にベタベタ貼りだされている。
街のいたるところで見かける軍隊を除けば、いまは、独立のあと最も平和で、安
定した時期を迎えているのに違いない。
だが、”繁栄”の日本からやってきた協力隊員にとって、それはあまりにも貧しす
ぎる平和、と写ったのではないか。派遣隊員18人。平均年齢26歳の若者たちだ。
異郷で流す彼らの汗は、貧しすぎるベンガル人のために流されている。
■メッカは遠く2 政府高官がツマミ食い
時おり救援物資さえ店頭に 種籾も食べた植えた農民
読売新聞 1976年5月7日
水銀柱は、四十三度。めくるめく陽(ひ)が、ベンガルの大地を突き刺していた。
汚れたロムギ(腰巻き)をまとったたけのウディンは、牛二頭を操り、ネコの額ほ
どの畑で女装に余念がなかった。まだ、ニ十六歳。母と若夫婦、二人の女の子の
五人家族。結婚したのは「たしか十四、五歳の時だ」と彼は言った。
朝、日の出とともに畑へ出る。
タ方の四時まで、二十アールのジュート(黄麻)と十三アールの米を耕す。
めまいがするほどの日ざしにもかかわらず、ウディンの表情は明るかった。
「今年は、一日三回食べられるからねえ」
ダッカから北へ百六十キロ。ガイバンダは、バングラデシュ最北部のラングプー
ル州にある小都市だ。
島根県出身の高橋潔さん(二六)と大阪出身の主谷(しゅたに)典之さん(二八)。
二人の青年海外協力隊員が、地元の農業普及訓練所に勤務している。二人の案内
で、ガイバンダの農家を回った。稲穂の揺れる農家は、独立後一番の豊作にわい
ていた。
ウティン家も、例外ではない。第一、今年は、三度三度食事をとれるのだから。
ルティと呼ばれる小麦の薄パン一枚の朝食に始まって、昼はイモ、夕食は、ご飯
に汁をかけただけの”具”のないカレー。ルティにしても、ダッカでは食用油でい
ためて、一枚二十パイサ(四円)で売っていたが、ウディン家に油はない。
土塗りのウディン家。家財道具といえば、洗面器のような食器と、寝る時に敷く
ゴザ、それにペラペラの掛け布。ラジオを持たないウディン一家は、夜、ケロシ
ン・ランプがともるころ、早々とゴもコザに横たわる。
意地悪な質問をしてみた。「生きている楽しみは何ですか」と。
ウディンは、しばらく考えてから口を開いたo、「メシを食うことだけ。ほかには、
何も……」。
日本から派遣されて、二年目を迎えた一昨年の夏、高橋さんと主谷さんは”地獄”
を見た。
その年、例年より早く、三月から雨が降り始めた。そして七月。降り続く雨で、
畑も道路も水の下に沈んだ。見渡す限り、水だった。
金持ちは、さっそく食料品を買い占めた。だが、金のない農民は、ジュートの葉
をかじり、種子用の米を食べて飢えをしのいだ。
そして、水がひいたあと―。
種子を食べてしまった農民は、なすすべがなかった。時がたつにつれて、難民の
群れが広がった。
高橋さんたちが異境に赴任したのは、オイル・ショックで揺れていた四十八年十
月。日本が、やっと”節約”に目ざめ始めた時だった。
それから一年。目の前で繰り広げられる惨状に、戦後っ子の二人は、どぎもを抜
かれた。「何とかしなければ」。東京の協力隊本部に至急電を打って送金しても
らい、農民に配布する種子を、富裕な農家から買いまくった。普及訓練所の試験
田で、発芽させた。苗は、七百軒の農家に無料で配った。
各国の救援物資が、ダッカに集まってはいた。だが、政府高官にツマミ食いされ、
地方の役人にうまい汁を吸われて…とかで、ジャムナ川とガンジス川に隔てられ
たガイバンダまでは、とても届かなかった。
その年、日本からも大量の救援物資が送られた。その一部、粉ミルクなどは、い
までも時折ダッ力市内の高級店に出回り、数少ないマイカー族が買っていくとい
う。
■メッカは遠く3 農耕革命ポンプ導入
「ボロ」栽培に大きなプラス 隊員の熱心さに政府も関心
読売新聞 1976年5月8日
ずり落ちそうになるサリーをかきあげながら、ポンプで、かんがい用水をくみあ
げていた。朝から夕まで。ただ、ひたすら……。
回教国のバングラデシュで、働く女性の姿を…兄かけることは、めったにない。
その、まれな光毅を、ガイバンダで、何度も見かけた。
女性を職場へ―。この革命的でさえある風景の裏には、ガイバンダの農業普及訓
練所で働く日本人協力隊員の活躍があった。
亜熱衛のこの国では、米の三毛作が可能だ。八月とり入れのアウス、十二月刈り
取りのアモン、そして四月に実るボロ。1エーカー(約O・4ヘクタール)当たりの
平均収量は、四月のボロが圧倒的に良く、約七百五十キロ。他の二作の四百キロ
前後を大きく引き離している。ところが、栽培面積は、アモンが全作物の四六%、
アウスが二六%、ボロはガタンと落ちて、わずか七%前後。
「ボロさえ普及すれば、バングラテシュは二度と地獄へ落ちることはない」。二
人の隊員、高橋潔さん(二六)と主谷(しゅたに)典之さん(二八)は、そう思った。
乾期のボロ作を妨げているのは、水だった。降れば洪水、照れば水不足―。
独立後問もないバングラテシュには、各国の援助で、かんがい用のディーゼル・
ポンプが入っていた。だが、ティーゼルを動かす重油が、なかなか手に入らない。
高価で、一般農民には高根の花。とても普及する見込みはなく大半はおクラ入り
になった。
そこで二人は、一部で飲料水用に使われていた手動ポンプに目をつけた。原理が
簡単だから、めったにこわれない。しかも、ディーゼルに比べると、格段の安値。
これだったら、バングラテシュ国産で調遠できる。
一石二鳥を目指して、ダッカから八百台のポンプを買い入れ、小規模農家にマト
を絞って、希望者を募った。一台当たりの農民の支払いは、五千九百六十円。洪
水の痛手の残る農民の”台所”を考えて、あとは協力隊が負担した。
ある農家は、牛二頭を売ってカネをひねり出した。「お役所の言うことなんか、
あてにならないから」と反対する妻を振り切って、土地を担保に入れ、ポンプを
据瓦付ける農民もいた。・・.
昨年いっぱいで、据え付けが終わった。今年、八百戸の農家が、一斉にボロ作に
取り組んだ。
ポンプを勤かすのは、子供と女性だ。とりわけ子だくさんのバングラデシュでは
“動力”にこと欠くことはなかった。
ポンプの周りには、子供が群がった。交代で水をくむハダカの子コしロら。いつ
もハダカだが、今年みたいに、はずんだおしゃべりが聞かれたことはない。
水をくむ女性にカメラを向けると、彼女らは、あわててものかげに隠れた。他人
に素顔を見せないという、回教の戒律は、まだ根強く残っている。だが、二度と
ジュート(黄麻)までかじらずにすむようにと、彼女らは、その戒御を曲げて、ポ
ンプを押していだ。畑にいろどりを添える。汚れたサリー。それが、どんな流行
の服よりも光り輝いて・・・。
記者が立ち寄ったウディン家も、このポンプを一台取り付けた。かんがい用なの
で掘りも浅く飲み水には適さないのだが、飲料を他の家からのもらい水に頼って
いたウディン家は、いま、このポンプからすべての水をくみ出している。ウディ
ンは言った。
「三百三十タカ(六千六百円)は安い買い物だった」。
高橋さんと主谷さんは、飛び上がった。「三百三十タカだって!」。農民負担は、
二百九十タカのはずだった。「あれだけ厳しく注意していたのに…」。どうやら、
集金に回った地元県の職員が差額をポケットに入れたらしい。
バングラデシュ政府は、このポンプに、強い興味を示し始めた。
今度は政府の手で、ガイバンダ以外の地域にも広めようと、考え出している。
二人の日本の若者がまいた”種子”は、ボロ作のように、豊かに実ろうとしている。
■メッカは遠く4 豊作でも輸入食糧だより
酒もコーヒーも高級品 日本人に深い感謝の念
読売新聞 1976年5月10日
回教徒の多くは酒を飲まない。
人口約7000万の大半がアラーを信仰するバングラデシュには酒屋は存在しない。
それでも、遠来の友のためにダッカには2件の酒屋がある。
どちらも外人宿泊客の多いホテルの中だ。
缶ビール一本1000円前後。目の玉が飛び出るお値段ではあるが・・・。
バーのあるホテルの一つに、記者は泊まった。
レストランでコーヒーを注文した。口ひげを蓄えたウエイターが、うやうやしく
置いていったのは、なんと、皿の上に載った缶詰。缶切りでフタをあけると、中
身は粉末のインスタントコーヒー。缶はメイド・イン・カナダとある。「これは
高級品でございます」と言って、ウエイターは、カップにお湯を注いだ。
バングラデシュのとぼしい外貨は、その大半が、米の輸入に使われている。北海
道の1.8倍という狭い国土だが、そこに住むベンガルの人々の腹を満たすには、
豊作の今年もまた、せっせと外国から食料を買わなければならない。わずかに輸
入している酒やコーヒーなどは、大半が外国人用。ベンガルの人々にとっては、
大変な贅沢品なのだ。
外国人は、ダッカにいる限り、金さえ積めば、酒もコーヒーも手に入る。だが、
ダッカを一歩踏み出すと、贅沢品は姿を消す。ヒマラヤの雪解け水をたたえたジャ
ムナ川を渡ると、コカコーラさえ入り込めない大地が続く。
ガイバンダ――。
豊かな日本との”落差”はあまりにも大きかった。地元の農業普及訓練所で働く二
人の協力隊員にとって、楽しみといえば、日本から送ってきたカセットテープで、
夜、都はるみを聞くくらいだ。一人当たり月約六万円の”活動費”は州知事の月給
の四倍以上。でも、この地に、金で楽しめる楽しみはない。
食事どきになると、隊員宅には、物乞いが集まる。「お恵みを」。やせた腕が伸
びてくる。二年前には「カネはなんていらないそれよりも食べ物を」と叫んだも
のだが、いまは、どちらかというと金目当て。「それだけ、豊かになったんです
かねえ」。二人の隊員、高橋潔さん(26)と主谷(しゅたに)典之さん(28)
の”実感”だ。
暮らし方だけではない。異郷の土もまた、隊員には勝手が違った。たとえば、種
子の選択。日本では塩水を使う。良質の種子は沈み、悪い種子は浮く。だが、ベ
ンガルではただの水。一割前後の悪い種子がまじり込むが、彼らに塩を買う金が
ない以上、ほかに方法はない。
ベンガルには、ベンガルの農業がある。二人は何度も農村へ足を運んだ。物言わ
ぬ農民の思い口が開き始めたのは、ガイバンダへ来て一年目。その年、前回の記
事で紹介した手動ポンプ農法のアイデアが浮かんだ。
ガイバンダ農業改良普及所のホッセン所長は、記者にこう語った。「今まで、多
くの外国人技術者とつきあってきたが、みんな、貧しい人のことは、考えてくれ
なかった。だが、日本人は違った。われわれ以上に、ベンガル人のことを考えて
くれた。これだけはぜひ書いてくれ。ガイバンダの人は、この二人の日本人のこ
とを決して忘れない、とね」。
バングラデシュには、世界の農業関係者から高く評価されている農業組織がある。
地名をとって「コミラ方式」。アメリカのフォード財団が金と人をふんだんにそ
そぎ込んで作り上げた。
だが、この組織が、コミラ以外にほとんど普及しないこともまた、世界の農業関
係者を驚かせている、という。
■メッカは遠く5 協力隊の現場 暴れ者でも川は命
交通、農耕―生活のすべて インドとホットな水量論争
1976年5月11日
ヒマラヤの雪解け水を運ぶガンジスとジャムナの両河川は、バングラデシュのほ
ぼ中央で合流し、大河となって、ベンガル湾へ流れ込む。
世界最大のデルタ地帯。バングラデシュは、いわば、その巨大な三角州の上に浮
いている。
ガイバンダまでは、ダッカから直線距離で、わずか160キロだった。日本でいえば、
東京―静岡。
新幹線で小一時間の旅なのだが、この国では、一日がかりのドライブとなる。
フェリーを二回、乗り継がなければならない。戒厳令が敷かれているバングラデ
シュでは、夜間外出禁止。日の出を待って、ダッカを出発した。
ジャマルプールの渡し場までは、わけもなかった。だが、ガンジスとジャムナの
合流地点に当たるこの渡し場には、穀物を満載したトラックやバスが、前夜から
列を作っていた。
岸では、人や牛が、水浴をしていた。その傍らで、女性が食器を洗い、瓶に水を
くんでいた。「川は生活のすべてだ」。あるベンガル人は話していた。
使用人を連れた身ぎれいな親子連れが、フェリー待ちの間、弁当を広げていた。
そのわきに、汚れたサリーをまとった女性がしゃがみこみ、弁当から落ちる米粒
を一つ一つ、砂の中から拾い出して、裸の我が子の口元に運んでいた。
渡し場に並ぶ出店からは、客引きの声が響く。物乞いの「アラー」も加わって、
活気に満ちた川岸には、生活そのものが塗り込められていた。
約三時間待たされた。フェリーは政府高官も、農民も、物乞いも乗せて、ゆっく
り進んだ。生活の汚れすべてを飲み込んでいながら、大河は、青く澄んでいた。
ダッカ郊外のシタラキヤ川で、現在大林組が、橋梁工事を行っている。首都ダッ
カと海の玄関口チッタゴンを結ぶこの道路は、日本の東海道に当たる幹線道路で、
アジア・ハイウエー計画にも組み込まれている。工事は6年前にスタートしたが、
まだやっと半分。悪戦苦闘の連続だ。
独立戦争と二回のクーデターによる工事の中断。ダカイト(盗賊)の出現。機材
を盗まれると、またに日本から輸入しなければならない。その間、またも工事ス
トップ。計画によると、総工費約十億円で、完成(昭和)53年。だが、いずれも、
計画内で収まりそうもない。
国土の約一割を占める河川は、交通網をズタズタに切り、ひとたび暴れると、手
をつけられないにもかかわらず、川は”いのちづな”なのだ。
「インドが、ガンジス川の水をせき止めているので、バングラデシュの水量が減
った」。人々はガンジス川をめぐって大国インドにかみつく。農業用水の確保や
フェリーの運行に支障がでるというのが、バングラデシュの言い分だ。ダッカの
新聞は、連日「昨日の水位」を報道していた。水位問題の真相はわからないが、
ホットな水論争は、日毎に暑さを増す。
独立の一年前、このガンジスの河口に、ウルトラ級のサイクロン(台風)が襲い
かかった。一瞬にして百万人が死んだといわれる、近代史上最大の災害も、また、
高潮とガンジスの流れの仕業だった。
飛行機からみると、人々の運命を握った川は、勝手気ままにのたうち縦横無尽に
広がって、ベンガルを覆い尽くしていた。
■メッカは遠く6 気の長い石油への夢
出荷前に食べられちゃう 育児制限に悩み深い政府
1976年5月12日
マンゴーの並木道を、いたる所で見かけた。ちょうど今頃、黄緑色に熟したマン
ゴーが、たわわに実っているはずだ。
ほどなく、パイナップルも出始める。バナナ、パパイヤ、ココナツは、年中手に
入る。
豊富な果物を経済ベースに乗せようと、バングラデシュ農業公社は、これまでに
百万本以上の果樹を農家に配布した。だが、市場には、さっぱり登場してこない。
「出荷するどころか、まず自分たちの腹を満たすために、みんな食べてしまうん
ですよ」
――ダッカ市内のガジプール。同公社農場でそ菜類を担当している協力隊員、田
崎正光さん(27)の話だ。
野菜や農家を積んだトラックの列が”初荷”の旗をなびかせて、マンゴーの並木道
をダッカへ向かう・・・。田崎さんの夢だ。
ガイバンダへの道も、マンゴーに彩られていた。その並木道をどこまで行っても
ろむぎ(腰巻き)やサリー姿が、絶えることはなかった。すれ違うバスは、屋根
の上にまで人を乗せ、インド製の乗用車アンバサダーは、運転手はじめ九人詰め
込んで、フルスピードでダッカへ向かっていた。
二年前の国勢調査によると、バングラデシュの全人口は七千百三十一万人。十三
年前、パキスタン時代の調査に比べて、四十,三七%も増えていた。
「これまでイート・アンド・ストップが政府の基本政策だったが、最近はストッ
プ・アンド・イートに変わってきた」。ダッカで会ったあるインテリは、こう話
した。
イート ― 食べること。
ストップ ― 産児制限。
二つの重い難題をハカリにかけなければならないバングラデシュ政府の苦悩―。
悩数少ない楽しみを提供する映画館は、どこも超満員だった。ガイバンダで、恋
愛ものを見た。悪者が麗しい主演女優に言い寄るたびに口笛が鳴り、ば声がスク
リーンに飛ぶ。二枚目が悪者をとっちめると割れるような拍手。さながら「鞍馬
天狗」上映中とでもいった熱気だった。
また、ダッカではこんな景気のいい話も聞いた。
・・・日本も参加して進められているベンガル湾の石油開発によって必ず”大量”
の原油が噴き出すはずだ。しかもガンジスの流れで、土砂が河口に堆積するから
300年後には、国土が3割増しになるそうなれば豊かなバングラデシュが実現する
だろう・・・。いささか気の長い”夢”ではある。
ところで田崎さんの夢。今年の正月、4トン車4台にキャベツを積んでダッカへ向
かった。そのトラックには、もちろん田崎さん手作りの「初荷」の旗がひるがえ
っていた。
「でもたった4台じゃあ。来年こそ、ずらりとトラックを並べて・・・。」
いつの日かきっとやってくる豊かなバングラデシュ。いまの農民は、大地に頭を
擦り付けて沈む夕日に祈る。地平線のさらにその向こうにある遥かなメッカに向
かって・・・。
記者がバングラデシュを去った翌日、短い外電が世界を飛んだ。
「10日午後、バングラデシュのファリドプール地域を竜巻が襲った。200人以上
が死亡、数100人が負傷した模様」―。
■(特集)インド亜大陸 不安定な安定いつまで
コメにかける“ギャンブル政治” 大豊作が矛盾を隠す
インフレも強権で鎮圧 火ダネかかえるバングラデシュ
再び強まる親パ感情 力のインドへ強い警戒_インド亜大陸
朝日新聞 1976年3月13日
インド亜大陸を横断して、バングラデシュでは実権者のジアウル・ラーマン陸軍
司令官、アーメド前大統領、インドではチャバン外相、パキスタンではプット・
首相、シャフィ外務次官ら多数の指導者と会った。ダッカ、ニューデリー、カラ
チ、ラワルピンジなどで、知職人、労働者、学生などとも接触し、できるだけ町
の実情をさぐった。これらの横断取材から得た印象は、困難な経済情勢の中で各
国とも表面上は安定を保ち、強権支配も容易な手段ではくつがえせぬ巨大な現実
となっていることである。半面、休火山の深層には、印パ対立を軸に無数の矛盾
がうごめいており、引き金次第ではいつ爆発しないともかぎらぬ不安を感じた。
順調な収穫見通し
「インド亜大陳の政治動向は米のでき具合にかかっている」と、よくいわれる。
バングラデシュを独立させた七一年末の印パ戦争は前年の大洪水による米の不作
とアユブ・カーン政根の崩壊が、東パキスタンの自治を求めるアワミ連盟の爆発
的進出を生み、これに対するパキスタン政府の弾圧が独立闘争巻呼び、インドの
支援によって、東西パキスタン分裂にまで発展した。今日のバングラデシュには、
米価の下落によって、これと対照的な現象があらわれているといってよい。
バングラデシュは去年の夏から今年の春にかけて前年同期の一五%増という大豊作
で、七五会計年度(七五年四月―七六年三月)に千三百万トンの米を収穫できる見
通しになった。西側からの食糧援助もふえ、農民からの米の集荷もサイエム=ジ
アウル・ラーマン新政権の手で順調に進んでいる。
ムジブル・ラーマン政権当時、百万トン近い米が与党アワミ連盟の権力者たちに
よって、隠匿されていたというが、これが一斉に摘発され、市場に出回った。
昨年八月十五日のムジブル・ラーマン大統領暗殺当時、一シェル(○・九キログラ
ム)十タカ(一タカ=約二十円)前後した標準米が、最近は三分の一の三タカ前後
に落ち、こじきの群れがダッカから去り、街は落ち着いた清潔な表情を取り戻し
ている。インフレもおさまって、マーケットには雑貨、衣料なども出回り、人々
の顔からはかつての厳しさがなくなっている。
インドでも、七五会計年度は史上最高の豊作だろうといわれている。反ガンジー
運動が高まった七三、四年ころに比べ、米、小麦などの穀物生産は前年比一〇%増
で、収穫量は一億一千四百万トンの見込みだ。石油危機の打撃も予想より小さく、
鉄鋼、石炭、電気、セメントなどの生産も上昇した。順調な小麦などの輸入とあ
いまって、米不足が解消し、インフ
レも鈍化した。咋年十月の卸売物価指数は前年比、六%も下落し、物価も安定しつ
つある。
パキスタンでは、主要輸出品の綿花が虫害と世界不況で七五会計年度は前年比、
二〇%減の二百八十万俵にまで落ち、繊維工場などは操短を強いられているが、失
業者の増加も国を揺るがす危機にまでは発展していない。それは、小麦の輸入を
含め年千百五十万トン程度の穀物補給を維持できれは、と
もかくも食糧の自足が可能だからでもある。逆に米は最近、五、六十万トンも中
東に輸出して、二億余ドルもかせいでいる。インフレも下降線を描き、七三会計
年度三〇%、七四会計年度二六・七%だった物価の年間上昇率も、七五会計
年度は一〇%以下に落ちるのではないか、とみられている。
言論統制なお続く
このようなインフレなどの沈静化は、政府の強力な施策によって初めて司能であ
り、経済再建の必要からいっても、インド亜大陸三国では強制的な政権維持が正
当化されているようにみえる。三国とも自給自足や人口の抑制などを最優先目標
にかかげ、今年六月からバングラデシュは三カ年計画、パキスタンは五力年計画
を、それぞれ実施する。インドのガンジー政権は昨年六月二十六日、非常事態宣
言と同時に、二十項目の経済発展計画をかかげ、国民に刻苦勉励を訴え、工業化
を急いでいる。
これらの計画の成否は今後の問題だが、三国の強権的な統治に対する批判の声は、
表面上は意外に少ない。これは三政権が以前に比べ清潔で、綱紀粛正と中央集権
を徹底させ、行政が強力で能率的になったことによるものとみられる。バングラ
デシュでは地方の行政機構を軍が握り、インドでは左派国民会級派、パキスタン
では人
民党という与党が絶対多数を掌握して、文民のガンジー、プット両政権が軍と警
察を握って、治安上の問題は起こっていない。
三国とも汚職は明らかに少なくなった。以前は横行した武装集団強盗なども激減
している。各国とも、事実上、ストはご法度で、インドなどでは五人以上のデモ、
集会も禁止、定期昇給規制、給与の一部強制預金など、強力な所得政策でインフ
レ収策が図られている。半面、脱税、ヤミドル隠匿使用の取り締まりなどに全力
をあげている。
もちろん、三国とも底流には反政府的な動きがあり、これに対する対策が内政上
の最大の問題になっている。各国とも一様に言論の自田を制限し、新聞、通信者
社なども少数にして、報道、論説なども完全な統制下に置いている。知識人や政
治家の一部はこれに不満を持っているが、組織されたものにはなっていない。
地下で動くゲリラ
むしろ各政権が恐れているのは地下で策動しているゲリラ的集団であろう。バン
グラデシュには、親印派や故ムジブル.ラーマン大・統領支持派のほか、新左翼や
親中国派が依然武装して、密林などにたむろしている。インドでは、右翼系や極
左系の集団が地下に潜行し、反ガンジー政党や中央集権反対論者と連絡をとって
いるふしがあるという。パキスタンでも、バルチスタン州や北西辺境州の分離主
義者や、これと手をたずさえる野党が依然活動を続けている。
インド亜大陸の政治が米にかけたギャンブルとすれは、大豊作の今年は反政府的
な動きが暴発する要因は少ない。しかし、今後、穀物生産が落ち、経済活動が低
下するようなときまで依然政治が安定を続けるという保証もない。一国の不安定
は必ず他の二国に波動するのが、不気昧なインド亜大陸の歴史である。
■新局面のインド亜大陸 印パ復交
平和定着には時間 「バングラ」なお不協和音_印パ復交
(朝日新聞 1976年5月17日)
インドがガンジス川にダムを建設して分水することに抗議するバングラデシュの
「五十万人デモ」が十六日、ラジシャヒの町を出発、インド国境へ向かった。イ
ンド側はデモ隊の越境を警戒して、国境付近に部隊を待機させており、緊張が高
まっている。
デモ隊はバングラデシュの民族主義政治家マウラナ・パシャニ氏(六七)が率いて
おり、十七日には目的地の国境の村テルクピに到着する予定になっている。
デモ隊は出発に先立ち集会を開き、バシャニ氏が「インドはバングラデシュに悪
意を抱き、国教に軍隊を動員した。インドがガンジスの水の利用を拒否するなら、
インド製品の全面ボイコットを提案せざるを得ない」と演説した。同集会はさら
に、国連に対し、分水問題の平和解決のため援助を要請する決議を採択して、ジ
ープに乗ったバシャニ氏を先頭に出発した。
これに対しインド側は、国境付近に国境警備隊など軍隊を待機させ、特にデモの
目的地テルクピ近くに重点配置している。
(時事AFP通信によると、十六日ラジシャヒを出発したデモ隊には、すでに三十万
人以上が参加しており、行進の途中で人数がふえ、国境近くのチャパイナワブガ
ンジでは五十万人になるという)。
【カルカッタ十六日=AP】インド国境警備隊によると、バングラデシュ当局は十
六日、ガンジス川の分水問題をめぐるデモ隊にインド国境を越えさせない、と保
証した。これは、バングラデシュの国境部隊からインド側に伝えられたもの。イ
ンド側は、デモ隊が越境すれはその責任はバングラデシュ政府にある、と警告し
ていた。
反インド感情激化の恐れも
<解脱>ガンジス川の水利権をめぐって、ことし一月以来、インド、バングラデ
シュ両国間の緊張のタネとなっていた「ファラッカ・ダム」問題は、こんどのバ
ングラデシュ側の「五十万人抗議行動」で緊張の極に達した。このダムは、イン
ドが昨年五月、百五十万ドルを投じて建設、ガンジス川の水をせき浄めて、その
水をインド領内に流れるフーグリ川に流し込もうというもの。年々カルカッタ港
に流入する土砂を、豊富な水量を流し込むことによって、押し流して、港の機能
を向上させる目的だ。
インドはバングラデシュ独立以前からこの針画を持っていたが、当時はパキスタ
ンの反対で実現できなかった。バングラデシュ独立後、インドは積極的にこの計
画に乗り出し、七ニ年五月のガンジー・ラーマン会談などでもこの問題が話し合
われた。建設直前の七五年四月には、ジャグジバン・ラム農相がダッカに飛んで、
試験取水に関する合意をとりつけた。
しかし、インドは、ことし一月以降、事前の協議なしに大量の水をとりはじめた
ため、バングラデシュでは、水位の低下により農業用水、工業用水などに大打撃
を受けた。このためバングラデシュ政府は一月十五日、インド政府に対し、取水
の中止、両国間の協議を求めて抗議するなど、両国間の対立は激化した。
四月末から両国間の協議がダッカとニューデリーで開かれているが、現在のとこ
ろ語し合いは平行線をたどっている。注目されるのはこんどのバングラデシュの
抗籏行動の中心となっているのは、親中国派として知られる民族アワミ党のマウ
ラナ・バシャニ氏であることだ。
昨年十一月のクーデター以来、強まったバングラデシュ内の反インド感情がさら
にもえ上がるおそれも出てきたわけだ。
■インド亜大陸の水争い 経済利害モロに対立
バングラデシュ 国際問題化ねらう_インドとの水争い
(朝日新聞 1976年5月19日)
インドとバングラデシュの間の緊張の原因となっていた「ファラッカ・ダム」問
題が、十六日から始まったバングラデシュ側の「五十万人抗議デモ」で、ついに
国際的な水争いとしてクローズアツプされてきた。
ダムが造られたのは、国境から約二十キロ離れたインド・西ベンガル州ファラッ
カ。インド政府が一億九千万ドルの巨費を投じて、咋年五月に完成した。ガンジ
ス川の水をせきとめて、その水をカルカッタに通じるフーグリ川に流し、土砂の
累積に悩むカルカッタ港の機能回復をねらったもの。
ダム建設は、一九五〇年代のネール時代にも計画された。しかし、このときはパ
キスタンが「東パキスダン(現在バングラデシュ)の産業を破滅させる」と強く反
対したため、実現しなかった。
七一年の第三次印パ戦争で、バングラデシュがパキスタンから独立すると、計画
は具体化した。
しかし、親インド色が強かったラーマン政権時代でも、合意は得られず、ダム完
成の直前の七五年四月、ジャグジバン・ラム農相がダッカへ飛んで、やっと暫定
的な取り決めにこぎつけた。
ところが、インド側が暫定協定の切れた今年に入ってからも取水を続けたため、
バングラデシュ政府はさる一月十五日と二月五日の二回にわたってインド政府に
正式抗議、取水の即時中止を求めた。
バングラデシュ側の主張によると、ガンジス川の水量が平年の三分の一程度に落
ちたため①農業用水の不足で、米やジュートの植え付けが不能となった②ベンガ
ル湾の海水が逆流し、水力発電、製紙工場が操短した③河川を利用している大型
船舶が航行不能となった―などの被害が出ている、という。これに対し、インド
側は「昨年の取水でも被害は出なかった」と取水による被害を否定、真っ向から
対立した。
カルカッタ港が年々流入する土砂のため、機能が大幅に落ちているのは事実だ。
インドは毎年二億ルピー(約七十一億円)をしゅんせつ費に投じているが、年間の
荷揚げ量は六百万トン台とひところの半分近くに落ちている。西ベンガル州の工
業開発に力を入れているインドにとっては痛いところ。
一方、バングラデシュにしてもゆずれない。ガンジス川の水が少なくなることは、
こんごの経済開発の可能性さえも摘み取りかねない重大問題なのだ。両国は四月
末からこれまでダッカとニューデリーで二回の交渉を行っているが、双方の主張
は平行線をたどったままである。
バングラデシュは、この問題を国際問題化する戦術をとっているようだ。独立の
いきさつからも、経済関係からいっても、インドと対等には立ち向かえないから
だ。
ネパールに特使を派遣したり、外国のマスコミにも積極的に呼びかけている。こ
んどの「五十万人デモ」もその作戦の一つのようだ。
だが、インドも、中国との大使交換につづいて、今月十四日にはパキスタンと国
交回復に成功するなど積極的で、強気の態度を変えてはいない。
■バングラ 前大統領ら逮捕 女性政治家も二人 反対勢力除く意図
朝日新聞 1976年12月1日
【ダッカ一日=AP】バングラデシュ政府は三十日、ジアウル・ラーマン陸軍司令
官の戒厳司令官就任に続き、アーメド前大統領を含む多数の著名な政治家を逮捕
したと発表した。政府筋によると、少なくとも十一人の政治指導者が「国家に対
して不利となる行動」と、その一部は汚職の疑いで身柄を拘束され、このなかに
は民政復活につながる総選挙の実施を目指し秘極的活働を行っていた二人の女性
政治家も含まれている。
バングラデシュ政府は先週、来年二月に予定された総選挙の延期を発表、二十九
日、ラーマン戒厳司令宮がサエム大統領から「国家の利益に必要ないかなる措置
もとり得る」権力を与えられたはかりで、今回の政治家の逮捕は、総選挙延期な
どを決めた政府の決定に反対する勢力の除去をねらったものとみられる。西側の
ある事情通によると、逮捕者の数は十一人よりも多く、百人に達するかもしれな
いといわれる。
■軍との対立表面化 前大統領らの逮捕_バングラデシュ
朝日新聞 1976年12月2日
三十日夜のオール・インディア放送によると、バングラデシュのアーメド前大統
領ら十一人の政治家が汚職や反国家活動などの理由で逮捕された。
これは陸躍参謀長のラーマン少将が前夜、サエム大統領にかわって戒厳司令官に
就任した直後のことだけに、総選挙を予定通り来週行うよう主張するアーメド氏
らの既成政治家と、選挙を延期して挙国一致の経済建設を提唱する同将軍との対
立が頂点に達した結果、軍部が文民勢力をおさえて政治の表舞台にあらわれたも
のとみられている。
当地の外交筋によると、昨年十一月の政変でアーメド氏の後継者となったサエム
大統領は、前最高裁判官という法律家らしく筋を通し、現政権の正統性を確認す
るためにも、早い時期に民意の洗礼を受けることが必要と主張して、アーメド氏
らの政治家の支持を得ていた。
一方、ラーマン将軍は経済再建を最優先させる立場から、総選挙の実施は時期尚
早と判断、さる十一月二十一日夜、来年行うはずの国会議員選挙の延期を主張し
た。
このため軍部と政治家との対立が深まり、サエム犬統領は再び辞意を表明したと
も伝えられる。
同国では十一月四日、政党禁止令が解除され、二十一政党が活動を始めるという
極端な小党乱立の状態に陥ってしまった。ラーマン将軍としては、このまま総選
挙を実施すれは、各政党指導者の主導権争いが激化、再び政治の混乱を招いて経
済再建もおぼつかないとみて、国会議員総選挙を当分取りやめることに蹄み切っ
たと伝えられる。
サエム大統領はアーメド氏ら軍部批判勢力の大量逮捕の後も、引き続いてその地
位を保っている。
だが、国家元首としての権力は名目的なものに過ぎず、今後いつまでそのポスト
にとどまっているか疑問視されている。
対外的にはガンジス川の分水をめぐるインドとの対立、対内的には一部の学生や
反政府分子の不穏な動きを抱えて、同国の軍部は民政移管勢力に強硬策で臨んだ
ものの、その前途は多難のようだ。
■エピローグ’76 <バングラの多重苦>
「食わすことが」政治 独裁でカンフル効果はあったが―
読売新聞 1976年12月22日
「ジア将軍」人気上昇
「明治維新当時の日本人の愛国心を見習え……女も働け……インテリも農村に行
こう」バングラデシュのジアウル・ラーマン戒厳司令官は、こう呼びかける。昨
夏のムジブル・ラーマン大統領暗殺以後、クーデターに次ぐクーデターで、動揺
と混乱を重ねたバングラデシュで、現サイエム政権の黒幕だったジアウル将軍は
戒厳司令官として表舞台に登場した。国民から「ジア将軍」と愛称で呼ばれ、人
気も上昇の一途をたどり”国父”とされた故ムジブル・ラーマン初代大統領の後を
継ぐ重要な存在になろうとしている。
「政治家が間に入ったらロクなことはない。口先ばかりで、動きは鈍い。連中は、
天下国家より利権争いにうつつをぬかしていた。無用の長物どころか、改革をは
ばむガンだった。われわれには、ジア将軍だけで十分だ。あとは彼の決定を忠実
に実行する官僚組織さえあればよい」-軍幹部や高官達は、ジア将軍の登場をこう
礼賛している。
将軍は、総選挙の無期延期、政党活動の事実上の再禁止、さらには民政移管を叫
ぶアーメド前大頭領ら有力政治家たちの”雑音”を、大量逮捕で封じ込める強攻策
を相次いで打ち出しているが、世論のさしたる反発や抵抗はなく、むしろ歓迎ム
ードが強かった。
食糧流出を阻む
これだけの人気と安定を手中にした手腕は、あざやかだが、その背景にあるのは、
黒幕時代からの努力で、民衆が食べられるようにしたからだ。
インド亜大陸の政情は、天候次第でもある。干ばつや大雨による凶作は、そうで
なくてさえ食べるのがやっとの大衆を、飢餓線上に追いやる。封建時代を思わせ
る従属と貧困生活に耐える従順な大衆も、食えぬとなったら騒ぐ。ラーマン大統
領が、昨年八月、人気の急速な下落の中で暗殺された背景にも、食えない大衆の
怒りがあった。一年前の大洪水による凶作は、十万を超える餓死者と、食料価格
の急騰をもたらし、彼の威信を地に落としだ。
また、昨夏インド全土を覆い、ついには自ら誇っていた”世界最大の民主主義”の
崩壊をもたらした政情不安も、もとをたどると、前年のグジャラート、ビハール
両州の食糧動動が発端だ。
国民のハラをふくらませるという、先進国や産油国ではすでに過去のものとなっ
た課題が、バングラデシュでは、依然、国家の最急務だ。そうしたなかでジア将
軍は、まず昨年の秋作が大豊作というツキに恵まれたが、食糧の密輸を徹底的に
取り締まり、凶作時に多量の食糧が国外に流れるといった”非国民的”な業者の活
動の息の根を止めたのであった。
これで、とにかく食料価格は、ラーマン時代の昨年前半に比べ、半値になった。
独立後のわずか一年で、物価を二倍にしてしまった”政治家連”の腐敗と無能ぶり
を身にしみて覚えている民衆は、政治家の復活より、むしろジア将軍の独裁をの
ぞんだといえる。
“軍人政治家”ジア将軍のすべり出しは、極めて順調だが、真価を問われるのはこ
れからだ。今は、いわばカンフル注射でもたせている安定にすぎず、抜本的な国
内改革がない限り長続きしない。
慢性的な食糧不足、人口爆発、資源不足、特にジュート以外に、これといった外
貨獲得手段を持たぬ乏しい経済基盤、そして、どうしようもない赤字で、外国援
助を頼りに食いつないでいる現状。石油や食糧のわずかな値上がりも耐えきれな
い負担となってくる。
第四世界五十歩百歩
国民に食わせることが至上命令だが、順調な天候に恵まれても、食糧を年間百五
十万ないし二百万トン輪入しなければならない。そこで、貴重な外貨も、ともす
れば食糧輸入代金にあてられてしまう。また、増産をはかろうとしても、化学肥
料は高価だ。新しい技術も、国民の八割強が文盲では、容易に導入できず、多少
の増産をしても、人口爆発で相殺されてしまう。
“南の国”に属するいわゆる第四世界各国の現情は、バングラデシュと五十歩百歩
だろうが、民衆にかつぎ出された形で独裁者となったジア将軍も、他の開発途上
の非産油国指導者と同様、いま暗中模索しているのではなかろうか。
これらの国の多くでは、いまは目的さえ正しければ、あらゆる手段は正当化され、
民衆はむしろ喜んでついて来るから、指導者にとってやりやすいともいえる。西
側先進国から”袋叩き”にあったインドのガンジー政権の強権政治も、民衆には受
け入れられた。
「食べる心配がなくなるのなら、何でもやってくれ」という貧困民衆の悲願が、
まざまざとうかがわれる。
ジア将軍は、果たして民衆の悲願にこたえる改革者となり得るだろうか。民衆の
強力な指示だけは、心強い材料だが、将軍とバングラデシュをとりまく客観的情
勢は、あまりにも厳しい。
■カジ・ナズルル・イスラム氏
読売新聞 1976年8月30日
(パングラデシュ詩人)ダッカの病院で死去、七十七歳。
回教徒を反英独立運用に立たせた”抵抗詩人”として詩聖タゴールと並ぶインド亜
大陸の大詩人。同国独立後帰国、ことし同政府からベンガル語と文学に対する貢
献に対し賞と国民詩人の称号が与えられた。独立運動時代の詩作は三千に達する。
▼今回は年に何度かお送りする40年前のバングラデシュに関する報道です。
独立後、バングラデシュの政治的混乱が大きな年です。
◯40年前バングラデシュのニュース
http://goo.gl/zGxS6w
すでに日本経済新聞の報道をご覧になったかたも多いかと思います。
■青年海外協力隊、バングラデシュから撤退 JICA、テロ受け
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDE29H01_Z20C16A7000000/?dg=1
(日本経済新聞 2016年7月29日)
1973年から派遣が開始され、1200人以上が派遣された歴史を考えると、
残念でたまりません。

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