バングラデシュのニュース(2013/05/22)  ■TV放送:NHK-BS1 24日14時、24日24時、Eテレ 29日23:30

■見出し(2013年05月22日) No2013-28
〇TV放送:エキサイト・アジア「第4回」(再) 
〇TV放送:エキサイト・アジア「第5回」
〇TV放送:Good Job!会社の星「バングラデシュで服を売れ!」
〇40周年記念に寄せて
〇バングラデシュ青年海外協力隊(JOCV)機関・情報誌 
 『SONAR BANGLA(ショナバン)』
〇単身、最貧国で鍛えたあきらめない心 
 -対談:マザーハウス社長 山口絵理子×田原総一朗
◯雑誌:グローバル経営の教科書 「カワイイ」を支えるファッションビジネス最前線

■TV放送:エキサイト・アジア「第4回」(再) 
 http://www4.nhk.or.jp/exciteasia/x/2013-05-24/11/16242/
 (NHK-BS1 2013年5月24日(金)14:00~)

アジア各国で奮闘する日本人ビジネスマンに密着するドキュメント・マガジン。
「世界の縫製工場」バングラデシュで圧倒的なシェアを持つ日本のミシンメーカー。
安さで売り上げを伸ばす中国メーカーに対抗したシビアな交渉に迫る。
定年退職後、中国で工場団地の運営をまかされた元自動車メーカーの幹部社員、
ベトナムの現地工場の社長に抜てきされた67歳の元職人も紹介する。
JUKIミシンの紹介

■TV放送:エキサイト・アジア「第5回」
 http://www4.nhk.or.jp/exciteasia/x/2013-05-24/11/18004/
 (NHK-BS1 2013年5月24日(金)24:00~)

アジア各国で奮闘する日本人ビジネスマンのドキュメント・マガジン。
去年9月の中国の反日デモで破壊された日系デパートが、新しい店舗をオープン。
開店前日からの2日間。

アジア各国に駐在する日本人ビジネスマンの奮闘ぶりを紹介するドキュメント・
マガジン。
去年9月の中国の反日デモで湖南省長沙の3店舗を破壊された日系デパートは、
42日後に店舗の再開を果たし、さらに4号店を出店。次々と襲いかかる難題
に立ち向かう駐在員たちの、開店前日からの2日間のドキュメント。
アジアの中でも貧しい国、バングラデシュでいち早く富裕層に目をつけ、口紅
などの販売を展開する男女の駐在員の日々。

ロート・メンソレータム・バングラデシュの紹介

■TV放送:Good Job!会社の星「バングラデシュで服を売れ!」
 https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130529-31-24235
 http://www.nhk.or.jp/kaisha/
 (Eテレ 2013年5月29日(水)23:30~)

ジャパンスターシリーズ、今回はバングラデシュで奮闘する大手アパレルメーカー
入社4年目の女性社員に密着しました。お楽しみに!

ジャパンスターシリーズ、今回はバングラデシュで奮闘する大手アパレルメーカー・
入社4年目の女性社員に密着する。
ミッションは「服を売りながら、バングラデシュの生活向上に一役買うこと」。
しかし、さまざまな問題が…。
バングラデシュの女性の多くは民族衣装を着ていて、洋服のニーズがあるか分からない。

さらに暴動にもなるゼネストや貧困の問題。果たして、その仕事ぶりは…?

■40周年記念に寄せて
 http://www.jica.go.jp/bangladesh/office/others/human/02.html
 (国際協力機構 2013年)

ムンシ ケー アザド  元ベンガル語指導教官

勤務期間:1975.10から2006.3
広尾研修センター(1975.10から1979.3)
駒ヶ根研修センター(1979.4から1994.12)
二本松研修センター(1995.1から1996.6)
駒ヶ根研修センター(1996.7から2006.3)

日バ修交40周年を迎えられたことを大変うれしく思います。1972年2月10日、日本がバン
グラデシュ建国を承認したとのニュースは私たちベンガル人にとって喜ばしく、ラジオ
やテレビで大きく取り上げられたことを今でも良く覚えています。

日本の承認はバングラデシュの国際社会への扉を開きました。両国間の繋がりは、バン
グラデシュが英領インドだった時代に遡ります。当時から、私たちの同胞は頻繁に日本
を訪れ、その文化に触れています。ハリプロバ・マリックは日本人(武田氏)との結婚
を機に、1912年にベンガル女性として初めて日本の地を踏みました。そして1915年には、
ベンガル語で初めての日本に関する本「ボンゴ・モヒラ・ジャパン・ジャトラ(バング
ラ女性日本へ行く)」を記しました。著名なラビンドラナート・タゴールも1916年をは
じめ、5回日本を訪れています。

ベンガル人が日本を友好国として感じるのは、1971年の独立前からです。赤十字チーム
の一員として独立戦争時にバングラデシュを訪れていた吹浦 忠正氏は、その凄惨な様子
を本に認めました。この本は現在、NHKワールドのベンガル局長である渡辺一弘氏により、
「ロクト オ カダ(血と泥)」という名でベンガル語に翻訳されています。

日バの修交が始まるとすぐに、日本はバングラデシュにとって有数の援助国になりまし
た。日本は戦火の灰の中から立ち上がる手を差し伸べてくれたのです。それは資金援助
であったり、技術協力であったり、文化交流であったりと、様々なものでした。これら
援助は経済やインフラの再建を支えてくれました。二国間援助の中でもボランティア事
業は賞賛に値するものです。両国の人が共に働き、汗を流すことを始めたのです。彼ら
ボランティアの活動は両国の友好を深めると共に、バングラデシュの若者に、より専門
的でプロフェッショナルな技術を身につけるよう啓発しました。北西部ナトールに農業
機械の専門家として1985年に派遣された小笠原一博さんが、日本のテレビ「地球感動配
達人、走れ!ポストマン」で紹介されましたが、これは両国の友情を示す貴重なドキュ
メンタリーです。

ボランティアにより両国間の距離は縮まり、相互理解が促されます。また、彼らが任期
を終えた後もバングラデシュとの繋がりを保ち、ホストファミリーや友人たちを訪れて
くれることは喜ばしいことです。彼らボランティアはベンガル語を駆使してコミュニケ
ーションを図ります。彼らのベンガル語能力は高く、スピ-チコンテストで賞をとる人
も少なくありません。彼らは派遣前の研修でベンガル語を習得しますが、この研修では
言葉の他にベンガル社会や文化についても学び、バングラデシュでの生活に備えるので
す。バングラデシュでは他国からもボランティアを迎えていますが、ベンガル語を操る
のは日本からのボランティアだけです。

1973年にボランティア派遣が始まってから1,000人以上が派遣され、彼らの誠実さや頑張
りが両国の絆を作り上げました。私は駒ヶ根研修センターで彼らの研修のお手伝いがで
きたことをうれしく思います。そして彼らボランティアを誇りに思い、彼らのバングラ
デシュへの貢献に感謝します。

※原文にはJOCVとあり、これは青年海外協力隊員のことです。バングラデシュには青年
海外協力隊員の他にシニア海外ボランティアも派遣されていることから、ボランティア
に統一記載しております。なお、現在、バングラデシュではシニア海外ボランティア3名、
青年海外協力隊員71名が派遣され、さまざまな活動を繰り広げています。総派遣人数は
シニア海外ボランティア16名、青年協力隊員1,105名の計1,121名となっています。

■バングラデシュ青年海外協力隊(JOCV)機関・情報誌『SONAR BANGLA(ショナバン)』
 http://www.jica.go.jp/bangladesh/office/others/volunteer/sonarbangla/index.html
 (JICA 2013年冬号)

◇http://www.jica.go.jp/bangladesh/office/others/volunteer/sonarbangla/ku57pq00001gx16b-att/2013_70.pdf

 特集「食」
・ベンガル人に聞きました「好きな食べ物なんですか?」
・ベンガル人の食生活
・チャ
・バングラデシュの行事料理
・バングラデシュの名物料理
・季節の野菜、フルーツ
・コルバニイード公開
・バングラのスパイス
・バングラデシュの食の今
・バングラデシュ 食のインタビュー wit hunger free world
・隊員の1週間の食生活
・Restrant Map in Dhaka
・Restrant Map in Chittagon
・インタビュー with JOCV 第1期 大嶋健男

■単身、最貧国で鍛えたあきらめない心 
 -対談:マザーハウス社長 山口絵理子×田原総一朗
 http://president.jp/articles/-/9258
 (PRESIDENT Online 2013年05月08日)

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもと、バングラデシュや
ネパールでバッグ・洋服を製造しているマザーハウス。同社の代表取締役兼デザイナー
として海外と日本を飛び回る山口絵理子さんは、いまもっとも注目されている若手女性
起業家の1人だ。山口さんがデザインしたバッグが並ぶ東京・台東区の直営店で、対談は
始まった。

<工業高校から一発で慶應大へ>

【田原】山口さんは、最初から起業家を目指していたのですか。

【山口】いえ、全然。私が昔から関心を持っていたのは教育です。小学校のときにいじ
められていたので、将来はもっと子どもが楽しくなるような学校をつくれたらいいなと
考えていました。

【田原】いじめられた人は、非行に走ったり、学校をやめたりしがちですよね。なぜそ
ういう道にいかなかったの?

【山口】柔道との出合いが大きかったと思います。けんかに強くなりたくて中2から柔道
を始めました。

【田原】柔道ってほとんど男でしょ。男たちの中に入って大丈夫だった?

【山口】高校の柔道部には丸坊主の人たちが50人ぐらいいて、女子は私1人でした。男子
とやれば強くなれると思って男子ばかりの工業高校に行ったのですが、私は48キロ級で、
男子はほとんどが無差別級。最初から比較にならず、けがばかり。鼻は2回折れたし、ひ
ざの靭帯はいまでも切れています。

【田原】それだけ練習したなら強くなったでしょう。

【山口】いえ、高1、高2のときはさっぱりで。メンタルがよくなかったと思います。練
習で成長を実感できなかったせいか、「工業高校なんて選ぶんじゃなかった」と後悔す
るようになってしまって。そういう思いを抱えたまま畳に上がると、その時点でもう負
けているんです。ようやくふっきれたのは高3になってから。最後は自分の力を出すだけ
だと思い直して試合に臨んだら、県で優勝して、日本でも7番になりました。

【田原】日本7位ならオリンピックも夢じゃない。もったいない。どうして柔道をやめた
のですか。

【山口】全日本の舞台に立って自分の柔道ができたことで満足したんでしょうね。もと
もといじめから自分を守ることが柔道を始めた動機だったし、小学生のころから抱いて
いた「学校をつくって社会を変えたい」という夢に戻って大学進学を目指すことにしま
した。

【田原】でも、柔道一筋で勉強してなかったでしょう。よく一発で大学に合格しました
ね。

【山口】工業高校は3年になると建築や溶接の授業ばかりになって、数学は勉強しなくな
ります。それではまともに受験できないから、最初は一浪するつもりで準備していまし
た。でも、SFC(慶應大学総合政策学部)は英語か数学、どちらか1科目でよかった。そ
れなら5科目やるよりいいと思って目指していたら、面接と論文だけでいいAO入試で受か
ってしまいました。

<大学院留学先はバングラデシュ>

【田原】慶應に入学して、山口さんは竹中平蔵さんのゼミに入ったそうですね。どんな
人でしたか?

【山口】やさしくて、礼儀正しくて、学生に対してもあったかい人です。すでに大臣に
なられていたので、先生は半年に数回しか来られませんでした。いまでもよく覚えてい
るのは、プレゼンテーションの日。みんなは日銀の政策について議論していましたが、
私は1人で貧困の国について発表。すごく緊張したのですが、先生が「よくがんばったね」
と声をかけてくださって、それがとても自信につながりました。

【田原】どうして貧乏な国に関心を持ったのですか。

【山口】マクロ経済の授業の中で、先生が「貧しい国に必要なのは教育だ。人的資本だ」
という話をしてくださったんです。それで教育をやるなら、日本だけじゃなく、貧しい
国という選択肢もあるなと。それでワシントンの米州開発銀行にインターンに行ったの
ですが、ワシントンで議論していても援助が貧しい人のところに本当に届いているのか
よくわかりませんでした。それで現場を見てみようと、当時アジア最貧国のバングラデ
シュに飛びました。

【田原】入国は簡単にできるんですか。観光ビザを取っても、数日間しかいられないで
しょう。

【山口】そうなんです。15日間のビザで入国しましたが、それだけじゃよくわからない。
単なるバックパッカーじゃダメだと思って、1週間たったころにダッカ大学院に入学させ
てくださいと頼みにいきました。でも、その翌月に女子寮が爆破されて。

【田原】えっ、爆破?

【山口】はい。国立大学は学生のデモが盛んで、そういう事件が起きるんです。さすが
に危ないなと思いまして、私立の一番いいところといわれるBRAC大学院にいって受験さ
せてもらいました。受験は3日後くらいにあって、なんとかもぐりこみました。

【田原】だけど、学費もかかるし、住む場所も必要でしょう。学生でお金ないのに、ど
うしたの?

【山口】いったん日本に戻って、ドン・キホーテや、焼き肉屋さんなどで必死にアルバ
イトしました。150万円くらい貯めたかな。日本とバングラデシュでは物価が10倍くらい
違うので。

【田原】大学院に行って、何かわかりましたか。

【山口】私は教育に興味があって、学校をつくることがグッドなことだという思いを持
ってバングラデシュに行きました。だけどクラスメートたちが悩んでいたのは、仕事が
ないこと。私から見たら、彼らはベンガル語も英語も話せてとても優秀。だけど実際に
バングラデシュの経済は半分以上が農業で成り立っている。勉強してもそれを活かせる
仕事がないから、僕を日本に連れてってくれっていう友達がたくさんいました。そうし
た現状に直面すると、まず働く環境をつくることが先じゃないかと。

【田原】優秀なのに、なんで就職できないのかな。

【山口】彼らが働きたいのは第1が銀行、第2が保険、第3がコンサルです。でも、バング
ラデシュは65%が農業で、それ以外の大多数は製造業。製造業はボリュームが大きいで
すが、そこで働いても稼げるお金は少なくて。

<現地パートナーに持ち逃げされ……>

【田原】そこは大事なので聞きたい。山口さんが見つけたように、バングラデシュはジュ
ートという麻の名産地ですよね。いい原料があるのに、なんで製造業が発達しない?

【山口】ジュートを何にしているかというと、1ドル以下の麻袋。要は低価格、低品質な
ものの拠点にしかなっていないんです。

【田原】つまり付加価値のあるものをつくることをやってないのですね。

【山口】はい。私は現場をちゃんと見たくて、三井物産でインターンさせてもらいまし
た。そのときにいろんな工場を見させてもらったんです。そして実際に大きな工場では、
やっぱり原材料として買い叩かれるだけという搾取が行われていました。

【田原】それに疑問を感じて、ジュートでバッグをつくることにしたのですね。そのア
イデアは三井物産の人にも話したのですか。

【山口】新しい素材だし、カントリーリスクがあるって言われました。

【田原】プロが無理だと言うものを山口さんは自分でやろうとした。むちゃくちゃじゃ
ないですか。

【山口】三井物産では12年で一人前だって言われたんです。でも12年あれば、失敗も含
めて、自分1人でもいろんなことができますよね。だから1個、2個でも、自分がアクショ
ンを起こして生まれるものがあるのなら、とにかくやってみようと。

【田原】でもバングラデシュの工場にバッグをつくるという発想はないでしょ。どうや
って説得したんですか。

【山口】できるできない以前に、向こうはイスラム教なので「女がこんな場所にくるな」
と言われました。それでもサンプルだけでもと頼んで、160個をつくって日本に持ち帰り
ました。

【田原】160個は、きちんと売れた?

【山口】はい。1個1万2000円くらいで。

【田原】ジュートの麻袋だと、1ついくらくらいですか。

【山口】農作物用の袋であれば数百円で、巾着やちょっとしたトートであれば3000円く
らいかと思います。

【田原】すると、バッグにすることで4~5倍の付加価値がつくのですね。それからは軌
道に乗った?

【山口】全然です。工場においてあった素材やデザインを全部持っていかれたこともあ
りました。バングラデシュでは、前払い金をもらって、バイヤーが来るときだけ工場を
開けて、彼らがいなくなったら工場を閉めて逃げてしまう工場オーナーがよくいるんで
す。私もやられて、お金も持っていかれちゃった。そのときは1週間ぐらい呆然としてい
ました。

【田原】そのときはどうしたの?

【山口】引き揚げた先でテレビを見ていたら、選挙前でテロが多発し、非常事態宣言が
出ていたバングラデシュのニュースが流れてきました。それを見ていたら、「たしかに
リスクはあるけど、私はそれを見越したうえであの国にいたんじゃないか」と思い出し
て、また戻ることにしました。

【田原】再スタートを切ったあとは、どうだったのですか。

【山口】その後も大変でしたよ。30人の工場と一緒にやり始めて、月500個生産していた
のですが、工場長と何かとけんかしちゃって。「照明をもっと明るくしてよ」とか、「
勤怠管理をもうちょっとちゃんとやろうよ」とか、私はそういうことまで気を配らない
といいものをつくれないと思っていたのですが、工場長は「ここは俺の工場だ。口を出
すな」。最後には、お茶も出してくれなくなっちゃいました(笑)。

【田原】それで自分の工場をつくったのですか。

【山口】はい。2008年の半ばにベンガル人を1人雇って、自社でつくり始めました。いま
は大半を自社工場で生産しています。

【田原】マザーハウスはネパールにも進出していますね。ネパールではジュートじゃな
くて、何に注目したのですか。

【山口】カシミヤです。でも、カシミヤとして売られているものを調べてみたら、アク
リルやポリエステルでした。みんなそうやって観光客を騙している。カシミヤ自体もそ
んなにとれなくて、中国やインドから輸入して染めているだけでした。

【田原】それじゃ原料としても使えないんじゃないの?

【山口】はい。だから手紡ぎで糸をつくるところからやっています。ネパールはインフ
ラも整っていなくて、いまも1日19時間は停電。電気に頼っていては何もできないので、
太陽が昇るとともに糸を紡いで、手織りでストールをつくっています。

【田原】生地にした後はどうするの?

【山口】カトマンズで最終製品にして、日本や台湾で販売します。そのあたりはバング
ラデシュと同じです。

<グラミン銀行とはターゲットが違う>

【田原】バングラデシュといえば、ノーベル賞をもらったグラミン銀行のムハマド・ユ
ヌスが有名です。グラミン銀行はBOP(ボトム・オブ・ピラミッド)と呼ばれる層にお金
を貸して自立を促している。山口さんはグラミンと一緒にやらないのですか。

【山口】グラミン銀行がアプローチしてるのは最貧層で、しかも女性にフォーカスして
います。私たちがアプローチしているのは中流階級。私はまず中流階級がいかに自分の
手で仕事をしていくかが大事だと思っているので、そこが少し違います。

【田原】いままで日本企業はピラミッドの上位15%の部分で勝負をしてきて、一方でグ
ラミン銀行は底辺のところにアプローチしてきた。山口さんは、その間をやろうとして
いるわけですね。さて、これからはどうしましょう。

【山口】まずはバングラデシュの工場の規模を大きくしたいと思っています。いま従業
員は100人ですが、これを300人、500人、1000人の規模にしたい。そのために2年後の工
場移転を考えていて、いま土地の購入を検討しています。

【田原】2年後って、まだ先ですよね。

【山口】バングラデシュは急成長しているので、土地もどんどん高騰しているんです。
だからいまのうちに買っておかないと。

【田原】いまマザーハウスのスタッフは何人くらいですか。

【山口】いま日本は10店舗で65名。台湾が4店舗で25名。バングラデシュが100名強です。

【田原】マザーハウスで働いている人たちは、自分の仕事にプライドが持てると思う。
いまは元気のない若者も多いけど、やる気を出させるにはどうすりゃいい?

【山口】うちの場合、みんなやる気満々なんですよ。がんばりすぎて倒れちゃう子がい
るくらいで。

【田原】なるほど。でも山口さんもがんばりすぎるタイプでしょう。世界中を飛び回っ
ていて、よく倒れませんね。

【山口】柔道をやっていてよかったなと。スタミナには自信あります(笑)。

【田原】なるほど、柔道に感謝ですね。これからもがんばってください。

<田原総一朗が見た山口絵理子の素顔>

山口さんは、突破力がある人だ。彼女の行く手には、これまで多くの壁が立ちはだかっ
てきた。たとえば小学校で徹底的にいじめられたり、柔道に打ち込んでいたころは男子
選手にこてんぱんにされている。ムスリムが多いバングラデシュでは、女性ということ
で相手にされなかったり、ビジネスパートナーに騙されて工場ごと逃げられたこともあ
った。

これらの壁を前にしたとき、普通の人なら戦意を失って、自分が傷つかない位置に逃げ
込むだろう。しかし、山口さんはあえて前に進むことを選んで、壁を突破していった。

途上国への支援を行う国際機関で働いていたとき、「支援が本当に届いているのかわか
らない」といって、いきなりバングラデシュに飛んだそうだ。現場を自分の目で見たい
という行動力は、ジャーナリスト顔負けである。いったい小さな体のどこにそんなパワ
ーがあるのかと驚かされるばかりだ。

自分を大きく見せようとしないところも山口さんの魅力の1つだ。ゼロから何かを立ち上
げた人の中には、自分の実績を自慢げに語る人が少なくない。しかし、彼女は「たいし
たことはしていない。私なんてまだまだです」と、さらっと語る。

数年前にも山口さんとお会いしたことがあるが、謙虚で飾らない姿勢は当時も同じだっ
た。対談後、以前と変わっていないことを指摘したら、「あはは、私って成長してない
のかも」と笑っていた。この天性の明るさが、壁を突破する原動力になっているのだろ
う。

残念ながら日本には女性経営者がまだ少ない。山口さんのような若い女性起業家がもっ
と現れたら、日本の経済や社会は元気になるはずだ。後に続く人たちのロールモデルと
して、これからも注目していきたい。

■雑誌:グローバル経営の教科書 「カワイイ」を支えるファッションビジネス最前線

 http://business.nikkeibp.co.jp/nbs/books/7415/index.shtml
 (日経BPムック 日経ビジネス 発行日:2013年4月11日 ¥980)

移り気なファッショントレンドに対応するため、ファストファッションと呼ばれるアパ
レルメーカーは極限まで高度化されたサプライチェーンを構築、商品の企画から店頭に
並ぶまで最短で2週間というリー ドタイムを実現しました。低コストの労働力が手に入
る最貧国で生産し、それを先進国の消費者が消費するという構図に批判もありますが、
最適調達、最適生産を実現したそのモデルは“グローバル経営の教科書”ということが
できます。

本書では、ZARA(ザラ)を展開しているインディテックスやH&M、ユニクロなど世界的な
ファストファッション メーカーの戦略や現状を見ていきます。あわせて、LVMH(モエヘ
ネシー・ルイ ヴィトン)やグッチなど ラグジュアリーブランドの変遷と戦略、三越伊
勢丹ホールディングスやJ.フロントリテイリングなど岐路に立つ百貨店の現状について
も分析しています。

Chapter 1:潜入、高速サプライチェーンの舞台裏
 バングラディシュルポ「カワイイ」を支える世界の縫製工場
 ファストファッション最大手「ZARA(ザラ)」高速経営の神髄
 世界最大のファッション商社 知られざる巨人、利豊グループの勝算
 注目のインテリアブランド「ZARA HOME」がついに日本上陸
 コラム:仏トロワ ファッション遺産の香る町

Chapter 2:もう1つの最強アパレル、H&Mの素顔
 ファッションは鮮度が命!高収益の秘密は3つの割り切り
 エコで差別化「コンシャスコレクション」の可能性
 コラム:いかにして服は生まれたか

Chapter 3:ユニクロ、柳井イズムは世界を制するか
 異端のマーケティング 盲点だったマス市場という“処女地”
 モノ作りこそ最強「トヨタ化」で挑む世界一
 ヒートテックの裏側その技術はカネになる
 コラム:ファストファッションの進化形 英国生まれの「ASOS(エイソス)」とは

Chapter 4:旬カジュアルで仕事スタイルは完璧!
 ファストファッションでお仕事コーデ

Chapter 5:老舗は「カワイイ」を担えるか
 グッチ社長兼CEOインタビュー「自国で作ることこそ文化」
 ルイ・ヴィトンCEOインタビュー「模倣の先に未来はない」
 日本が育てたルイ・ヴィトン
 バーゲン後ろ倒しの衝撃 百貨店とアパレル、岐路に立つ巨人
 「流通革命は終わらない」J.フロントホールディングス会長兼CEO
 「現場で描く百貨店の未来」三越伊勢丹ホールディングス社長

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