◆イベント情報◆
・2014年度 コニカミノルタ フォト・プレミオ 年度賞受賞写真展 7/4~7/14
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2015july/gallery_c_150704.html
・埼玉アジアフォーラム・セミナーの御案内 7/13
https://www.pref.saitama.lg.jp/a0306/saitama-asiaproject.html
・「バングラデシュ・セミナー」(東京)のご案内 7/22
https://www.unido.or.jp/coming/2321/
・公開講座「日本とバングラデシュの国際協力における現在と未来」を開催します 7/21
http://www.saitama-u.ac.jp/lecture_archives/20150709-1.html
■見出し(2015年07月13日) No2015-31
〇バングラデシュ、中所得国の仲間入り
〇【ボランティア便り】バングラデシュでの活動を通じて
〇先生が伝えたいバングラデシュの今 -第3報-
〇思い出の家庭料理を一緒に(バングラデシュ料理教室)
〇インターネットで始まる国際協力:
バングラデシュと大阪府内の高等学校の新たな取組(遠隔授業)
〇教育界の「お騒がせ男」が受験サプリに加入した理由
〇バングラデシュ初の出版事業をてがけた青年の3つの原動力とは
〇軍事政権が救った命、バングラデシュ製薬産業が発展した理由とは(田中)
〇ベンガルのラマダン料理
〇7月22日(水)「バングラデシュ・セミナー」(東京)のご案内
〇≪藤井英彦の視点≫ バングラデシュ堅調 ~ 内需増 ~
〇公開講座「日本とバングラデシュの国際協力における現在と未来」を開催します
〇広がる女性の子連れ海外赴任 「我が子も成長」
〇セカイラボ、バングラデシュに開発マネジメント拠点を設立
大規模開発可能なIT産業を育てる
〇博多に子ども服のユーズドショップ 3000点そろえる
〇ANA、社会起業家支援プログラム SNSでシェアして寄付
〇川崎西ライオンズクラブの会長に就任した石原 敏光さん
石原クリーニング(株)会長 76歳
〇妊婦体験しながら世界一周の旅 ~タイ、ミャンマー、バングラデシュの報告~
〇コレラ流行地域住民約27万人で経口コレラワクチンの有用性を確認
〇観光体験ツアー:外国人の視点、観光政策に生かす 豊田 /愛知
〇なぜ飲食業界は人手不足に陥った? 採用活動における重要な鍵とは?
〇衣料の無料配布に殺到、将棋倒しで24人死亡 バングラデシュ
〇断食月の無料配布で将棋倒し、20人死亡 バングラデシュ
〇テラモーターズの徳重 徹氏が語る、アジアで戦うためのマインドセット
■バングラデシュ、中所得国の仲間入り
http://www.el.tufs.ac.jp/media/src/read.php?ID=431
(東京外国語大学 日本語で読む世界のメディア 2015年07月05日付 Protho
m Alo紙)
(7月2日付)バングラデシュは低所得国から脱却し、中所得国となった。これは
昨日(7月1日)世界銀行が発表したもの。
世銀は中所得国をさらに低中所得国と高中所得国の2つに分類している。バングラ
デシュは今後、低中所得国と呼ばれるようになる。
世界銀行は毎年7月1日に、国民ひとりあたりの年収をもとに、各国を4つのグルー
プに分類したリストの公式発表を行っている。個人あたりの年収が1,045ドル以下
の国は低所得国とされる。バングラデシュは1971年の独立以来ずっと、この低所
得国グループに属していた。
民間のシンクタンク・政策対話センター(CPD)のモスタフィズル・ロホマン常任理
事はプロトム・アロ紙とのインタビューで「(中所得国入りには)我が国の一貫
した経済成長が反映され、それが認められたと言うことだ。国民が成し遂げた大
きな成果であり、記念すべき一里塚と言える。これにより心理的のみならず、実
質的に得られるものが大きい。それと同時に新たな課題も出てくる」と語った。
中所得国とは: 国民ひとりあたりの年収が1,046ドルから12,736ドルまでの国を
中所得国と呼ぶ。さらにそのなかでも年収が4,125ドルまでの国は低中所得国、そ
れ以上の場合は高中所得国に分類される。12,737ドル以上は高所得国ということ
になる。
世銀は「アトラス・メソッド」と呼ばれる独自の方法で各国の個人あたる収入を
算出している。この方法では、それぞれの国の通貨で表された国民総所得(GNII)
が米ドルに換算される。その際、国際的なインフレ率と為替レートの変動値を調
整するため、過去3年間の為替レートの平均値が用いられる。
バングラデシュ統計局(BBS)の統計では、バングラデシュの2014-15会計年度に
おけるバングラデシュの個人あたり年収は1,314ドルとされている。世銀の算出方
式で1,045ドルを超えているので、今回発表されたリストでバングラデシュは中所
得国の仲間入りができたわけだ。政府の策定した10年計画では、2021年までに中
所得国となることがうたわれていた。それが目標より早く達成されたことになる。
世銀が今回発表した一覧表では、バングラデシュ、ケニア、ミャンマー、タジキ
スタンが新たに中所得国に加わった。同じSAARC・南アジア地域協力連合加盟国の
インドとパキスタンもこのカテゴリーに属している。最新のリストでは、低所得
国は31、低中所得国は51、高中所得国は53、そして高所得究国の数は80となって
いる。
これからの課題: CPDのモスタフィズル・ロホマン博士は、総合的な見地から中
所得国入りは、世界におけるバングラデシュの地位をさらに高めることになると
考えている。そしてその結果、国際的な金融市場から融資を調達しやすくなる、
すなわち貸し手側からして、バングラデシュは比較的リスクの少ない国と見なさ
れる、と言う。しかし一方で、国際的な開発援助機関から融資を受ける際の条件
が少々厳しくなることも考えられる。そうした状況に今から備えなければならな
い、とモスタフィズル・ロホマン博士は語っている。
低中所得国になったといっても、バングラデシュが後発開発途上国(LDC)であるこ
とには変わりがない。そのため、LDCであることの便宜もこれまでと同様受けるこ
とができる。LDCからの脱却のためには①財政の脆弱性②人材開発③国民一人当た
り総所得に関する一定の指標をクリアする必要がある。これについてモスタフィ
ズル・ロホマン博士は「財政の脆弱性の指標を満たすことはできたが、あとの2点
に関してはまだクリアできないままだ」と言う。
中所得という名の罠:所得が増えること即発展とは言えない。これまでにも収入
を増やして中所得国入りしたものの、「中所得国の罠」に陥った国は少なくない。
中南米諸国は長年その中でもがいている。中国やロシアといった国でさえ同じ状
況だ。もっとも顕著な例としてはブラジルと南アフリカがあげられる。単に所得
を増やすことのみに心を砕き、インフラ、教育を含む人材開発、輸出の分野での
競争力向上に目を向けなかった国々がこうした「中所得国の罠」に落ちることに
なる。
■【ボランティア便り】バングラデシュでの活動を通じて
http://www.jica.go.jp/shikoku/topics/2015/0629.html
(JICA 2015年6月29日)
25年度1次隊 バングラデシュ人民共和国 職種:青少年活動
中川 佳美さん(徳島県)
バングラデシュという国
アジア最貧国といわれている国。バングラデシュ。最貧の貧というのは何を指
すのかと疑問に思うほど人々はエネルギッシュで人が生きているというのを実感
する毎日です。
確かに生活的に貧しい人は多いけど、人々の心は豊かで誰とでもコミュニケーショ
ンをとり、「元気?調子はどう?」と声を掛け合っています。バングラデシュに
来て、心をやむことも少なくないですが、いつも人を気遣う現地の人の心に救わ
れています。
任地であるサバールは首都ダッカからバスで1時間半、自然豊かな地域です。リハ
ビリを専門とするNGOの附属小学校で主な活動を行っています。
小学校は肢体不自由児と通常児がともに学ぶ、インクルーシブ学校です。肢体不
自由児が通える学校として国内最大であるため、国内で肢体不自由児をベースと
したインクルーシブ学校としてモデルとなるような学校を目指すとともに、重度
の障がい児が教育を受けられる環境と教育カリキュラムについて活動を進めてい
ます。
小学校での様子
「アッサラーム アライクム」子どもたちは学校の先生に元気に挨拶します。バ
ングラデシュでは、これが目上の人に対する挨拶なのです。どの国でも挨拶をし
あうのは気持ちのいいことですね。
私が仕事をしているのは、ウイリアム&メリー・テイラーという小学校。全校
児童は300人のバングラデシュでは小さな学校です。そして300人の内100人は身体
に不自由がある子どもたちです。
この子たちは家の近くの学校で入学を拒否されたり、入学できても授業について
いけなかった子どもたちがほとんどです。この国では障がいのある人への差別や
偏見がなくなっておらず、体の不自由な彼らの通える学校はとても少ないのです。
みなさんは手が不自由な友だちが字を書けないでいたらどうしますか。足が不自
由で車いすに乗っている友だちがいたらどうしますか。この学校では字が書ける
子が代わりに書き、歩ける子が車いすを押してあげます。みんな一緒に勉強して
いるのです。しかし、もっともっと体の不自由な子どもたちにとって学びやすい
環境や学校を作っていかなくてはいけません。それが私の仕事です。バングラデ
シュの子どもたちはみんな笑顔で輝き、みんな協力し合って生きています。
2年間で彼らから得たものは数えきれません。彼らがこれから先も笑顔で生きてい
ける未来を作るために次のステージでも全力で生きていくこと。そしてまたたく
さんの経験を積み、バングラデシュに戻ってくることが私の目標です。
■先生が伝えたいバングラデシュの今 -第3報-
http://www.jica.go.jp/sapporo/enterprise/kaihatsu/kaigaikenshu/jissen/
20150629.html
(JICA 2015年6月29日)
教師海外研修でバングラデシュを訪問した道内の教員が、それぞれの在籍校にて
研修の成果を活かした国際理解教育の実践を進めています。今回は2名の先生の実
践授業の様子をお伝えします。
バングラデシュのあるあるを言いたい!
2014年度のJICA長期社会体験研修員であり、北広島市立大曲小学校を原籍校とし
ている中村信義先生は、同校にて4年生40名の児童たちを対象に授業を行いました。
1時間目の授業では、「バンクラデシュの魅力ある文化に気付き、好きになっても
らいたい」という中村先生の狙いのもと、児童たちがグループで考え、表現し合
う授業が展開。まずは、あらかじめ切り分けられた写真のピースを使って絵合わ
せゲームを行い、グループ作りからスタート。写真が完成すると、実はそれら全
てがバングラデシュに関する写真であることが告げられ、次の活動に進みます。
今日のメイン、国の概要を絵合わせでつくった写真から読み取り、表現する活動
です。中村先生が「その写真から気付いたことを『バングラあるある』として歌
詞を作り、曲(AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」)にのせて歌ってもらい
ます」と告げると児童たちは大盛り上がり。写真を観察しながら、「カレーを手
で食べている」「日本語じゃないな」など意見を出し合い、歌詞作りもします。
「バングラ、お米は細長い~」「バングラ、ドラえもん人気だよ~」など愉快に
「バングラあるある」を発表するとクラスは大フィーバー。中村先生はスクリー
ンに写真を映しながら、一つひとつ丁寧に解説していきます。
最後には、バングラデシュ版のドラえもんのマンガをきっかけにベンガル文字や
数字の紹介とクイズをしてくれました。「ベンガル数字では??0と書きますが、日
本の数字だといくつになるでしょうか…答えは『240』です」と告げると、「8と
書いてあるのに4なんだ!!」と驚きの声。
授業の終わりには、早速ベンガル数字を使って自分の学年とクラスを書く児童も
いました。中村先生の狙いにあったように、バングラデシュの数字に魅力を感じ
た表れの一つだったのではないでしょうか。
Face New World! -新しい世界に出会おう!-
北海道紋別高等養護学校の野崎広輔先生は、外国語の先生です。「言葉だけでは
なく外国文化への興味や関心も高めて欲しい」という想いを持った野崎先生は、
楽しく学べるカードゲームを作成しました。
この日、野崎先生は2年生の教室にバングラデシュの男性の民族衣装パンジャビ姿
で登場。「さあ、先生が冬休みに行ってきた国はどこだと思いますか?」「韓国
!」「中国?」なかなか当てられない児童たちに正解を伝え、バングラデシュク
イズが始まりました。「人口が多いのはバングラデシュ。じゃあ面積はどっちが
大きいでしょう?」クイズの選択肢は英語で書かれており、発音の練習も兼ねら
れています。答え合わせでは、実際に野崎先生が撮影してきた写真を見ながらバ
ングラデシュの様子も知ることができました。
その後は、2つのカードゲームで学びを深めます。1つ目は、他の時間に学んだ世
界の国と、今日学んだバングラデシュと日本を比較する”世界のいろいろシート”
を使います。国旗や通貨など、料理などバラバラになったカードをシートに当て
はめていきました。2つ目は挨拶カードを組み合わせるゲーム。日本語と英語、ベ
ンガル語で同じ意味のものを組にしていきます。組にしたものを裏返すと…「あ
!バングラデシュのお金だ!」正解すると同じ種類のお金が揃う仕組みになって
いました。この授業で児童たちの記憶に”バングラデシュ”という国の文化がしっ
かりと組み込まれたと思います。
今回、お二人の先生とも特徴のある内容となっており、児童たちの興味・意欲が
掻き立てられたと思います。ありがとうございました。
■思い出の家庭料理を一緒に(バングラデシュ料理教室)
http://www.city.mitoyo.lg.jp/forms/info/info_print.aspx?info_id=11059
(香川県三豊市 2015年7月9日)
青年海外協力隊としてバングラデシュで2年間、子どもの予防接種活動をして
いた三野町の綾里佳さんを講師に招き、バングラデシュ料理教室が6月28日、
豊中町保健センターで開催されました。
綾さんは、最初に、青年海外協力隊として現地で子どもたちの感染症予防に取
り組んだ体験談や地元の人たちとの交流について、映像を使って紹介してくれま
した。
その後、みんなでバングラデシュ料理にチャレンジ。今回作ったのは、代表的
な家庭料理「ムルギトルカリ(チキンバングラデシュ風カレー)」「デロッシュ
トルカリ(オクラのカレー炒め)」と「ラッシー」の3品です。特にバングラデ
シュ風カレーはニンニク、ショウガ、カレーパウダー、塩、七味唐辛子、ポン酢、
トウガラシペーストなどを使っており、一口食べるといろいろな香辛料が口の中
にふわ~っと広がります。
バングラデシュでは、作った料理を1つの皿に盛り付けて、手で食べるのが流
儀だそうですが、今回は別々の皿に盛り付けて、スプーンで試食しました。綾さ
んがバングラデシュの家庭で味わった、忘れられない家庭料理。みんなで協力し
て作って食べると、より一層おいしく感じられました。
■インターネットで始まる国際協力:バングラデシュと大阪府内の高等学校の新
たな取組(遠隔授業)
http://www.jica.go.jp/kansai/event/report/2015/150703_01.html
(JICA 2015年7月3日)
2015年7月1日(水)に、大阪府立狭山高校で高校3年生とバングラデシュに派遣中
の青年海外協力隊3名との遠隔授業が行われました。今回は「ものをただあげるこ
とが正しいか否か」というテーマで意見交換をしました。
今までの取組み
大阪府立狭山高等学校では、2013年からバングラデシュの青年海外協力隊の協力
のもと、ボリシャル技術訓練校(Barisal Technical School&College)とインタ
ーネット交流しながら、現地の状況を学んだり、クイズを通して日本を紹介した
りと、交流をつづけてきました。
関連リンク:
インターネットで始まる国際協力:バングラデシュと大阪府内の高等学校の新た
な取組(遠隔授業1回目)
インターネットで始まる国際協力:バングラデシュと大阪府内の高等学校の新た
な取組(遠隔授業2回目)
そして、2014年12月には派遣されていた隊員との交流を通して、「訓練校の自動
車整備科の授業の際、手を保護する為に使用する軍手が、現地では手に入りにく
い」という現状を聞き、大阪金剛ロータリークラブの協力を得て、日本から軍手
を現地に贈りました。その軍手は無事に現地に届き、隊員によって配布され、ボ
リシャル技術訓練校で使われています。
その際に現地の隊員より紹介されたのが、日本からの支援で行ったことが、支援
側が思っているように現地の人たちのためになっていない事例があるということ
でした。ただ支援するのではなく、もう一歩踏み込んだ話し合いができれば生徒
たちにとっても良いのではという隊員からの思いを繋ぐため、担当の小林先生は
機会を探していました。
そんな時に英語の教材の中で、国際協力の支援について考えるトピックがあり、
この中で生徒たちに「ものをただあげることが正しいか否か」ということを考え
てもらう機会にしようと今回の遠隔授業を行うこととなりました。
「国際協力のカタチ」意見交換
事前授業では、隊員たちが現地で直面している2つの課題に対する支援について、
生徒たちはグループになってそれぞれどのような方法が考えられるのかを話し合
いました。隊員から出された課題は、(1)作業現場における安全管理の改善の支援、
(2)識字率を上げるための支援という内容で、それぞれ何を送るのかということや
送る方法などの意見を出し合いました。
遠隔授業当日、隊員3名の内、2名はボリシャルという地域にあるボリシャル職業
訓練校に配属されている松本法久さん(職種:自動車整備)と笹本真奈美さん(
職種:PCインストラクター)、もう1名はチャパイナワブゴンジという地域のラジ
オ局に配属されている安藤恵理子さん(職種:コミュニティ開発)と回線をつな
ぎ、大阪の狭山高校の生徒と交流をしました。
簡単な自己紹介の後、まずは生徒たちから課題に対してグループで出た意見を発
表しました。「インターネットで募金を集め、ヘルメットを購入し、現地に届け
る」という意見や、「日本全国からいらなくなった教材や文房具を集め、現地に
送る。集め方はインターネットで呼びかける。」など、インターネットを使った
支援の方法が挙げられました。生徒からインターネット募金という意見が多く出
たことに対し、隊員からは「私たちが募金と言えば、街頭募金やお店などに募金
箱を設置することが思い浮かぶけれど、今の時代はインターネットを活用するこ
とが主流になっているのが面白い」と高校生からの意見について新鮮さを感じる
場面もありました。隊員からはインターネット募金の具体的な方法の紹介をはじ
め、インターネットを活用する際に情報の出どころやその信憑性などを確かめる
ことなどの注意点についても伝えられました。
また、「識字率を上げるために学校を建てる」という生徒からの意見に対しては、
「識字率が低いことから、現地に学校がないからではないか、という想像ができ
ることは素敵なこと。でもここで大切なのは、本当に学校がないのかということ
も考えてほしい。バングラデシュには学校はたくさんあって、支援で建てられた
ものが使われていない現状もある。どういう支援が一番いいかを現地をもっと調
査してから支援する必要がある。」ということも隊員からアドバイスされました。
意見交換のほかに、生徒からのバングラデシュについての質問タイムでは、「流
行っているスポーツはなんですか?」、「食べ物はなんですか?」という問いに、
隊員から、バングラデシュで流行っているクリケットや現地のカレーの紹介をし
てもらいました。中には「松本隊員はバングラデシュに行ってからそんなに黒く
なったんですか?」という質問もあり、笑いがおこっていました。
授業の最後で通信状況が悪くなる場面もありましたが、その後3名の隊員から、メ
ールで生徒たちにメッセージが送られました。「インターネットはとても便利な
方法だけど、情報を発信する際に誤解を招く可能性があることや、情報収集の際
もその情報の出どころや信憑性を確認しながら進めることが大切である。」、「
必要なものを、必要な場所に、必要なタイミングで提供することは難しいが、こ
れから支援側に立つことがあれば、常に疑うという癖をつけてほしい。」、「支
援の目的は、自分たちで国をつくっていく、地域づくりをしていく、問題を解決
する力をつけることだと感じている。遠く離れた日本からの支援に大切なことは、
コミュニケーションを図ることだと思う。日本とバングラデシュの2国間に立ち、
そこにいる人たちの本当の生活の様子や日本人の温かい気持ちなどを、伝え合う
努力をしたい。」といった貴重なアドバイスや意見を頂きました。生徒たちから
も「交流できてよかった。」、「バングラデシュとつながれて面白かった。」と
いう声があがっていました。
また隊員3名とも「今日はアドバイスが出来ればと思っていたが、むしろ生徒さん
から刺激を受けた。とても有意義な時間になった。」と感じたそうで、今回の遠
隔授業は、お互いのことを「知る」、できることは何かと考え「行動する」、と
いうことを改めて一緒に考えるという、高校生にとっても、隊員にとっても有意
義な時間になりました。
国際協力推進員 大阪南部担当 石田さやか
■教育界の「お騒がせ男」が受験サプリに加入した理由
https://newspicks.com/news/1045911/body
(NEWS PICKS 2015/7/5)
6月、教育界では小さなニュースがあった。それは受験サプリに税所篤快(さいしょ
・あつよし)がバイトとして加わったことだ。たったひとりの「バイト入社」が
なぜ話題になったのか。実は、税所は、教育界ではその名を知らぬものはいない
社会起業家である。現在、26歳。20歳から世界の教育現場に立ち続けた“若きベ
テラン”が受験サプリに加わるのは、教育業界ではちょっとした話題だった。
「バングラディッシュ版ドラゴン桜」旋風の後は……
税所の代名詞とも言えるのが、大学在学中に立ち上げたNPOのe-Educationだ。世
界の教育格差を是正すべく、都市部の有名講師の授業風景をDVDに録画し、教育貧
困地域に届けるeラーニング事業である。
中でも、最初に手がけたバングラディッシュの貧村からは国内トップであるダッ
カ大学の合格者を次々と輩出。「バングラディッシュ版ドラゴン桜」として一躍
脚光を浴びた。その後も各国で電撃的に事業を展開していくe-Educationは、海外
メディアの注目も集めるまでになった。
だが、税所は開口一番こう切り出す。
「20歳からの6年間、『最高の授業を世界の果てまで届けたい』と思って突っ走っ
てきました。今もバングラディッシュだけではなく、フィリピンやインドネシア
などで、仲間たちが頑張ってくれています。でも、今から思えば、僕自身、ビジ
ネスのやり方が甘かった部分があって、思うように収益が上がらずに苦しい思い
をしました
※続きはリンク先をご確認ください。
■バングラデシュ初の出版事業をてがけた青年の3つの原動力とは
http://logmi.jp/73643
(ログミー )
三好大助氏はグラミン銀行IT事業部にて新規事業コーディネーターを務めた後、
バングラディシュにて同国初の学生向けキャリアマガジンの出版事業をスタート。
Googleで非営利団体向けプロダクトGoogle for Nonprofitsを立ち上げるなど、新
興国に向けてさまざまな活動を続けてきました。スピーチの途中に登場するキャ
リアマガジン出版パートナーのジャファーは、功績をたたえられて日本文科省か
ら奨学金を貰い、一橋大学への留学を実現。三好氏は自分自身に影響を与えてき
た、友人や恩師について振り返りながら、世界をよりよくする方法について語り
ました。(TEDxICU2015 より)
どうすれば自信を育むことができるのか
三好大助氏:みなさん、こんにちは。ありがとうございます。だいぶ足の震えが
治まってきました(笑)。さて、本日はぜひみなさんと一緒に考えたいことがあ
って、この時間をいただきます。
それは「自信」というテーマです。本日最後にふさわしい、なんと真面目なテー
マでしょうか。まあリラックスしてください。
自信、それは自分の価値を信じる気持ちです。突然ですがこの中で、自分にもっ
と自信がほしいという方、どれくらいいらっしゃいますか?
(会場挙手)
ありがとうございます。
これで手が挙がらなかったら僕が今日いる意味がなくなってるところでした。い
ま手を挙げてくださったみなさんと同じように、他でもない僕も自分にもっと自
信がほしいと悩んでいました。
今日だってそうです。このTEDという素晴らしい場で、本日まさかのトリですよ。
あまりに緊張して、実は今週1週間会社に休みを出して来てるくらいなんですから
(笑)。
(会場笑)
ちなみに、TEDに出るなんて絶対に言えなかったので、会社には秘密の合宿に行っ
てくると伝えています(笑)。
(会場笑)
なので、本日は秘密の合宿という体でどうぞよろしくお願いします。
さて、そんな秘密の合宿ではぜひみなさんと一緒に考えたいと思っています。ど
うすれば僕たちは自信というものを育んでいけるのでしょうか。
この問いの答えとして、僕の場合、何かすごいことを成し遂げることで自信が得
られると思っていました。そしてこのことにものすごく執着して生きてきたんで
すね。
なので、本日はまず最初に、そんな僕がどんな道を歩むことによってその結果何
を受け取ったのか、ということをぜひシェアさせてください。まず僕が初めて自
信というものを意識したのは13歳のときでした。
ソフトテニスというスポーツがとても大好きで、夢中で練習していました。ただ
残念なことに、すごく弱かったんです。そして周りから、ものすごく馬鹿にされ
ました。「お前なんかにできっこない」。
すごく悔しかったです。「自分の価値を信じたい」「もっと自信がほしい」。強
く強くそう思いました。なので、高校でも、また大学でも体育会に入って頑張っ
て練習しました。でもやっぱり結果が出なかったんですね。なので、ついに僕は
その大好きだったテニスを諦めてしまいました。
でも、自分の価値や可能性を信じることだけは諦めたくなかった僕は、テニスを
上手くなることなんかよりも、もっと大きなこと成し遂げて、そうすれば自信が
得られるんじゃないかなと思ったんです。
いま一番世界を変えている人の元へ修行をしに行った
そんな19歳のあるとき、人生の相棒と呼べる大親友(税所篤快氏)と出会いまし
た。そしてそんな彼と一緒にこんなことを考えたんです。
いま一番世界を変えてる人の下で修行をしに行こう、と。そうすれば何か自信の
種が見つかるんじゃないかなと思ったんです。そのときに思い浮かんだのが、こ
の人でした。この人の名前ご存知の方、どれくらいいらっしゃいますか?
ありがとうございます。この人、ムハンマド・ユヌス先生というバングラデシュ
人で、貧困解決にものすごい貢献をしたということで、なんとノーベル平和賞を
受賞した人です。この彼のストーリーにめちゃくちゃ感動した僕たち2人は、もう
これバングラデシュに会いに行くしかないな、と思ったんですよ。
もちろん怖かったですよ。でもテニスを諦めてしまった僕には、もう行く以外の
選択肢がなかったんです。なのでチケットを取ってバングラデシュに行って、当
てもないのにユヌス先生のオフィスのビルまで行ってエントランスで出待ちをす
ることにしたんです。
辛抱強く待ってると、なんと見事会うことができたんですよ。
この出会いがきっかけとなって、僕たち2人はユヌス先生の下で弟子入り修行をさ
せてもらうことになったんです。さらにこの数ヵ月後、なんと新規事業立ち上げ
のチャンスをもらえたんですよ。
僕はもう有頂天なわけです。やったぞ、と。これでかっこいい事業をつくって、
ユヌス先生やたくさんの人から認められて、そして女の子にモテたり、情熱大陸
とかにも出たりして、スターになれるに違いないなと思ったんですね。
(会場笑)
ただ結論から言うと、大失敗だったんです。原因は非常にシンプルでした。「か
っこいい事業がつくりたい」そう思うあまりに全然現地のニーズがくみ取れてな
かったんです。とても落ち込みました。
同時に、すごく辛かったのが実は相棒の存在だったんです。彼も事業のチャンス
をもらっていて、彼のつくった事業はめちゃくちゃうまくいったんですよ。
その活動は日本でも広がってたくさんの本になったり、たくさんテレビに取り上
げられたりしました。
僕はうれしかった反面すごく悔しかったんですね。僕のほうはもうすっかり失敗
してしまって、そしてすぐ隣で彼は成功して。僕が欲しかった人からの評価とい
うものを全部手にしていたからでした。
こんな体験もあって、僕はすごく落ち込みました。テニスでも馬鹿にされ続けた。
そして憧れの人の下でも失敗してしまった。もう自分なんかに価値なんてないん
じゃないかなと思ってしまったんです。
バングラデシュの1人を全力で幸せにしようと思った
そして僕は日本に帰ることにしました。自分のお世話になってる人に相談しに行
ったんです。「もうこんな自分に価値なんてない。信じることができません」。
するとその人はこう言ってくれました。「大助、お前は結局誰を幸せにしたかっ
たんだよ」。はっとしました。そうだ、と。僕が幸せにしたかったのは、バング
ラデシュの人たちなんかじゃない、自分自身だったんだと気づいたんですね。
じゃあもう1人でもいい。バングラデシュの人1人でもいいので、その1人を全力で
幸せにして、帰ってこよう。そう思ったんです。そこで思い浮かんだのが、この
バングラデシュ人でした。
※続きはリンク先をご確認ください。
■軍事政権が救った命、バングラデシュ製薬産業が発展した理由とは(田中)
http://kinbricksnow.com/archives/51944983.html
(KINBRICKS NOW 2015年07月04日)
バングラデシュの意外な輸出産業
バングラデシュ最大の輸出産業といえば縫製産業である。良質で安い労働力が手
に入ることから近年競争力を増してきている。そして、意外と知られていないが、
縫製産業に次ぐ輸出産業として、製薬産業がめざましい成長をとげている。2002
~2010年にかけての製薬業界は年平均26%というハイペースで成長を続けてきた。
製薬業界の国内マーケット規模は1000億タカ(約1500億円)。その内97%を国内産
業が占める。
バングラデシュの日刊英字新聞The Daily Starによると、製薬産業の2012年輸出
額は約50億タカ(70億円)である。2011年現在、製薬産業が輸出に占める割合は
0.2%。割合こそ少ないものの着実な成長を続けている。
バングラデシュの薬代は世界一安いと言われている。例えば、風邪薬一本20円で
買える。抗生物質も100円程度から買える。この安さのおかげで貧困層でも薬への
アクセスが可能になった。この安さの理由は2つある。一つはバングラデシュが発
展途上国で、製薬関係の特許が適用されないこと。発展途上国における医薬品へ
のアクセシビリティを確保するため、特許による知的財産権保護の適用外にある
のだ。二つ目としては、薬を自国生産していること。これら2つの理由の背景に
ついては、後ほど詳述する。
この国の製薬産業が大きく成長するきっかけは一つの法律だった。1982年に制定
されたNational Drug Policyによって、海外企業の活動を大きく制限され、国内
企業に成長の余地を与えた。まずは1982年当時の状況を振り返ってみよう。
ザ・貧困国
この国は、1971年の独立以降、実に多くの問題を抱えていた。
過剰な人口、極度の貧困、食料が足りない。病院が足りない、医者が足りない。
学校が足りない。先生が足りない。そもそも予算がない。徴税能力がない。多い
のは人だけであとはないないづくし。LDC(後発開発途上国)の問題をすべて抱え
ていた。
独立当時のバングラデシュは極度の貧困により、人口の半分がタンパク質不足。
人口の三分の一が寄生虫感染や栄養不足による貧血症に罹患しているといわれて
いた(村山)。当時の悲惨な状況については、宮崎亮・宮崎安子(1985)に詳し
く記述されている。
「頭が痛い、腰が痛い、お腹が痛い、足の関節が痛い、血便が出る、咳が出る、
熱がある、虫が出た……」
何でもあるようです。調べてみると、アメーバ赤痢に回虫、ジアルジアという寄
生虫、十二指腸虫、肺炎、関節炎。よくも一人でこんなに病気が持てるものだと
感心。(p. 43)
このお母さんは結核でした。二人の子どもを残して父親は蒸発。お母さんは物乞
いをして生活しているのでした。結核と診断されてカンゼンプール診療所から支
給された薬を町で売っているところを診療所の職員に見つかってリンダに叱られ
ている一幕でした。薬も注射液も、町で売ればお金になり、子供たちの何日か分
かの食料になります。(中略)自分の命の薬を売って、泣いている子どもに食物
を与える母親の心の痛みは私たちの想像を絶しています。(p.70)
「赤ちゃん何人生まれたの?」
「18人。本当に生まれたのは7人。」
「それじゃ、うそにうまれたのは11人だね。」
「うん。小さくて、息もしないでしんでうまれただ。」
「それでいま子供は何人いる?」
「三人だけ生きているよ。他はみんな死んじゃっただ。」(P.44)
死産や生後まもなく死亡するケースが多かったので、お母さんたちに子どもの数
を聞いても答えられない人も多かった。よくよくきくと、いま生きている子ども
の数を答えるのか、産んだ者も含めた総数を答えるのかわからないのだ。
当時蔓延していた病気は、肺炎などはもちろんのこと、アメーバ赤痢、百日咳、
コレラ、ジフテリア、結核、腸チフス、ポリオなど。ありとあらゆる感染症がは
びこっていた。たとえ政府やNGO団体のサポートにより診察が無料だったとしても、
医師のいる病院までの交通費さえ払えない患者も多かった。そして診察を受けた
としても薬の値段は高く、庶民が手を出せる値段ではない。
さらに、農村では公衆衛生の不備も深刻だった。同じ川や池を飲用・入浴・洗濯
・排泄に使っていた。下水と上水が分けられていないため、寄生虫や感染症のリ
スクがきわめて高かった。これでは治療を受けて治ったとしても、すぐにまた別
の病気にかかってしまうだろう。
まとめよう。貧乏人は栄養不足の上に感染リスクが高い生活を送っていた。病気
になれば借金をしないと薬が買えない。貧困層の仕事の多くは日雇いである。体
を壊せばすぐに収入はゼロとなり、その日の食料さえも買えない。このようにし
て貧乏人はますます貧乏になるというサイクルが繰り返された。
国際資本を追い出せ
これらの国民の抱える貧困に起因する病気に対し、大きな貢献を果たしたのが19
82年に制定されたNational Drug Policyである。
安価な薬の提供は、貧困対策として喫緊の課題だった。当時のバングラデシュで
は、国内生産の75%がFISONS、Glaxo、Pfizer、Organonなどの多国籍企業によっ
て占められていた。薬の価格を下げるためには、製薬業界に占める国内企業の割
合を増やさなければならない。
また、流通していた薬の種類も問題だ。WHOは大多数の人々が健康を保つために必
要な医薬品を182種類定めている。しかし、当時のバングラデシュではそのうち9
0種類未満しか作られていなかった。なぜなら、多国籍企業が自身の利益のために、
必要な投資を行わなかったからである。
そのような背景を受け、1982年3月にM. H. エルシャド軍事政権がNational Dru
g Policyを制定した。この法律は、必須医薬品の質と量を確保する為の行政的、
法的サポートを提供する目的で作られ、結果としてこの法律により国内企業が成
長し、多国籍企業が市場から追い出されることになった。そして、医薬品価格の
引き下げ、不要で必須でない有害な医薬品の市場から駆逐などが実現したのであ
る。
この法律は当然ながら欧米多国籍企業から強い反発を受けるはずだった。しかし、
政権発足から間もない時期で、エルシャド政権によって戒厳令が敷かれていたこ
と、さらに秘密裏に立法作業が進められロビイングの時間的猶予がなかったとい
うこともあるだろうが、海外企業の反対を押し切って法律は制定された。
あるいは民主主義政権だったら欧米諸国の圧力によりひっくりかえされたかもし
れない。皮肉なことに軍事政権の強硬姿勢によってこのロックンロールな法律は
実現し、その結果多くの貧しい人々の命を救うことになったのだった。
国内企業の成長
その法律の制定以降、成長した国内企業をいくつか紹介したい。
まず、もっとも勢力を伸ばした企業がSquareである。ゲーム会社とは別物。創始
者であるS. サムソン H. チョードリーは 一代で財をなした立志伝中の人物とし
て有名だ。1958年に設立した当時は、「アーユルヴェーダ」の知識などから作っ
た飲み薬などを製造販売。オバチャンが台所で薬草をグツグツ煮て瓶に詰め、旦
那がそれを売り歩くレベルから事業を始めた。
1982年頃から海外の製薬会社のライセンス製造を始め、業績を大きく伸ばす。19
85年以来ずっとバングラデシュの製薬業界のトップに君臨し続ける製薬業界の雄
である。昨年度の売り上げは200億タカ(約260億円)。ここ数年、年平均10%で売
り上げを伸ばしている。
BEXIMCO(現在、業界3位)もSquare同様、エルシャド政権下で大きく成長した企業
だ。BEXMCOの場合、設立当初は医薬品の輸入販売を手がけたが、のちに自ら製造
するようになり、National Drug Policy の成立後に事業を大きく成長させた。製
薬業界の成功後、経営を多角化し、繊維・通信・金融・発電所建設・テレビ局・
新聞社などを手がけるバングラデシュ有数のコングロマリットへと成長した。Sq
ure、Beximcoともどもエルシャド大統領のゴルフ仲間で、ロビイングにも長けて
いたようである。
TRIPS協定の後押し
国内市場で競争力をつけた製薬業界により、バングラデシュは製薬産業において
輸入国から輸出国へとなった。現在、バングラデシュで販売されている医薬品の
20%が特許医薬品、残り80%はジェネリック医薬品と推計されている(村山)。
輸出はTRIPS(Trade Related Aspects of Intellectual Property Rights、知的財
産権の貿易的側面に関する協定)という国際条約も追い風となった。人道的配慮
からLDCの製薬企業は知的財産権のある薬品でも特許料を支払うことなく製造でき
るようになったのだ。もちろん自由に世界中どこにでも輸出できるわけではない。
特許料免除の規定はLDCか、十分な薬品生産設備を持っていない国に適用される。
後者の国に輸出する場合でも特許料は免除される。ただしこの規定は2015年12月
31日に失効する。LDC諸国は規定延長を求めているが、現時点では結論は出ていな
い。
今後の動き
製薬業界の発展によって、貧困層の薬へのアクセシビリティが確保されたことは
もちろんのこと、バングラデシュという国を大きく発展させる力となった。その
きっかけとなったのが法改正による国内企業の保護である。
一方、貧困を克服し栄養状態が急速に改善した結果、近年では生活習慣に起因す
る肥満が新たな課題となりつつある。National Drug Partyによって外資系製薬企
業のバングラデシュ参入は困難だが、ヘルスケアサービスを含む医療業界全体を
見れば、大きなマーケットが広がってきているとも言えるだろう。
参考資料:
・村山真弓(2013)「第4章 製薬産業」『バングラデシュ製造業の現段階』村山
真弓・山形辰史 編, 独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所, pp. 66-
87.
・宮崎亮・宮崎安子(1985)『バングラデシュに生きて―死の陰の谷より』新教
出版社.

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